インタビュー:第2回「NPCオープンデイズ」イスラエル編

今から50年前の1968年、東京1964パラリンピック競技大会の次となる第3回パラリンピックは、イスラエルのラマトガンで行われました。
当初はオリンピックの開催地であるメキシコシティーが行う予定でしたが、技術的な問題で開催が難しいと辞退したところ、名乗りを挙げたのがイスラエルでした。
当時建国20周年を迎えていたイスラエルは、この大会に並々ならぬ熱意を持って臨み18の金メダルを含む合計62のメダルを獲得し、メダル獲得数でアメリカ、イギリスに次ぐ世界3位になるという輝かしい成績を残しました。
(日本は東京1964大会で開催国として金メダル1つを含む9つのメダルを獲得し、ラマトガン1968大会には金メダル2つを含む12個で総合16位)
オリンピックのメダル獲得はバルセロナ1992大会まで一度もなかったという、1968年人口わずか280万人の小さな国が、一体、どうしてパラリンピックでは大国と堂々とわたり合って、大量のメダルを獲得することが出来たのでしょうか?

私たち東京2020組織委員会は、2018年8月末に開催した第2回NPCオープンデイズに合わせ来日したイスラエルパラリンピック委員ロン・ボロティンさんにその「秘密」についてお話を伺いました。

イスラエルは1968年にパラリンピックの開催国になっただけでなく、世界3位のメダル数を獲得するなど初期のパラリンピックにおいて大国に匹敵する素晴らしい結果を残していますが、何か秘密があったのでしょうか?

「パラリンピックムーブメントの父といわれるルードウィッヒ・グッドマン博士はユダヤ人でした。彼は建国間もないイスラエルを度々訪問し、イスラエルでのパラリンピックムーブメントの創生に強く関わっています。そのような経緯もあってイスラエルは障がいスポーツを政府が積極的に支援した最初の国の一つになりました。特に1960年代から1980年代にかけて、イスラエルは非常にたくさんのメダルを獲得していますが、その理由はイスラエルが他よりも先にパラリンピックスポーツを振興していたというアドバンテージがあったからです。
当時のパラリンピックは今とは違って、スポーツエリートが集まる大会ではありませんでした。今では多くの国がパラリンピックの意義を理解して、強化を図るようになっていますから、小さいころからスポーツエリートとして競技に関わっていなければメダルを取ることは難しくなりました。」

ボロティンさんは、自身もパラ水泳の選手としてアーネム1980大会からシドニー2000大会まで計6回の大会に参加し、計11個のメダルを獲得しました。そして、その後の5大会でも裏方として大会に参加し、過去40年近くにわたりパラリンピックの変遷を見届けてきました。東京2020大会は11回目のパラリンピック大会となるボロティンさんにとって、イスラエルが以前のようにメダルを取れなくなったことは残念な部分もある一方で、大いに歓迎すべき面もあると言います。

過去10大会のパラリンピック競技大会を見てきたボロティンさんにとって今のパラリンピックはどう映っていますか?

「昔のパラリンピックスポーツと今のパラリンピックスポーツは全く違うものです。その変化をこの目で見てきましたが、(この期間に起こった変化は)本当に素晴らしいものです。今のパラリンピックは本当のプロフェッショナルが集まるハイレベルの大会であり、世間の関心の高さも以前とは比べられないレベルになりました。それはアスリートにとっても良いことですし、それぞれの国にとっても良いことです。そして次回開催国である日本にとっても良いことです。大会への注目が集まれば、障がい者に対する世間の見方を変えることになるでしょうし、それに伴って地域のバリアフリー化について考えるきっかけにもなりますから。」

アスリートのレベル向上の為、現在イスラエルが力を注いでいるのが若い選手の育成です。以前は戦傷者や元ポリオ患者がリハビリとして成人後に初めてパラリンピックスポーツに取り組むことが多かったそうですが、パラリンピックスポーツのレベルが向上するに従って、最新鋭の設備を整えても以前のような結果は出なくなったといいます。
今ではパラリンピックスポーツのレベルを上げるためには、多くの競技者が早い時期から取り組むことがより重要になってきていると言います。

現在力をいれていることは?

「今、私たちが力を入れているのは障がいのある子供たちが早期にスポーツに取り組めるようにすることです。どんな障がいがあってもスポーツができる、というのがパラリンピックの伝えたい重要な価値ですし、早いうちからスポーツをすることで障がいのある子供たちの考えを変えたいと考えています。
また、パラリンピックムーブメントを進展させるにあたりテクノロジーは大きな部分を占めることになるでしょう。イスラエルには素晴らしい技術を持つ多くのスタートアップ企業や、ハイテク企業が存在します。そうした技術をアスリートのトレーニングなどにうまく使えないか、と考えており、近年パラリンピック委員会にも技術部門を新に設置しました。今後パラリンピックが次のステップに行くにあたり、テクノロジーによる大きな変化が起きることと思います。」

目覚ましい結果を残した1968年のパラリンピックですが、大会後のレガシーとして障がい者への社会の見方が変わったなどということはあったのでしょうか?

「もちろんそれなりに社会へのインパクトはありました。しかし今とは時代が違っていたことも事実です。当時、多くのイスラエル人は大会が開催されていることすら知らなかったですし、メディアの取り上げ方も今とは比べ物にならないレベルでした。大会直後にアクセシビリティやインクルージョンが劇的に改善されたというようなことは起きていません。
もちろん、現在ではアクセシビリティもインクルージョンも大幅に改善しました。特に過去数年は目覚ましいものがあります。パラリンピックでメダルを取って注目されたアスリート達がメディアに注目され、彼らがそうした社会の変革を訴えたからこそ、そうした変化が起きたわけですが、1968年当時はそこまでのメディアの注目は残念ながらありませんでした。もちろん、今そのようなことが起きていたら、とても大きな反響があるでしょうね。」

イスラエルは、前回のリオ2016大会では銅メダル3個に終わりました。この結果には「満足していない」というボロティンさん。NPCオープンデイズ期間中の会場視察でも高温高湿度という悪条件の中、笑顔を絶やさず、積極的に視察に参加している姿が印象的でした。最後に東京2020大会とその先の目標について伺いました。

東京2020大会に期待することは?

「日本人は礼儀正しく、スポーツが好きな印象があります。その意味で会場に多くの方に来ていただけると思いますし、そうなればとても良い環境で大会が行われることになるでしょう。オリンピック直後に注目を集めるのは簡単なことではありませんし、実際に開催地によっては会場にそれほど人が集まらなかったこともあります。東京2020大会ではそのような心配はいらないと思います。
そして東京ではリオよりもメダルを多く取りたいです。また東京2020大会後も見据えて、できるだけ多くの若い選手を参加させたいです。そして東京2020大会をきっかけに障がい者への見方や障がい者自身の考えをよりポジティブに変えていくきっかけにしていきたいです。今はうまくいっていますが、東京2020大会をきっかけに、メディアにもっとパラリンピックのことを報道してもらい、国民の認知をより広げたいと思います。それが私たちの目標です。」