故郷福島と再始動するJヴィレッジへの思い。なでしこジャパン(サッカー日本女子代表)高倉麻子監督インタビュー

1997年、福島県に日本初のサッカーナショナルトレーニングセンターとして開設されたJヴィレッジ。開設以来、サッカー日本代表のトレーニングキャンプをはじめ、多くのチームに利用されてきましたが、2011年3月に発生した東日本大震災に伴い、施設の営業は休止を余儀なくされ、原発事故の対応拠点となっていました。

あれから7年。

2018年7月、多くの方の尽力により、Jヴィレッジは本来の目的であるサッカーのトレーニング施設としての営業を再開しました。私たち公益社団法人東京オリンピック・パラリンピック組織委員会(東京2020組織委員会)は、見事に復活を遂げたJヴィレッジにゆかりのある方にお話をお伺いすることで、スポーツが人々に与える勇気と力を知り、東京2020大会の一部競技を被災地で開催することが復興に向けたアクションの1つにつながるのではないかと考え、2人の方にインタビューを行いました。

最初にご紹介するのは、東京2020組織委員会アスリート委員で、なでしこジャパン(サッカー日本女子代表)の高倉麻子監督。高倉監督は福島県福島市出身で、選手としてアトランタ1996大会に出場。現役引退後はアンダー世代の監督として活躍され、Jヴィレッジでの活動も経験。現在は女子フル代表の監督として、東京2020大会での活躍が期待されます。

福島で育ち、サッカー選手になるまで。学生時代の福島への思い。

福島県福島市ご出身ということですが、監督が育った場所はどんなところでしたか?

家の周りは山や川がありとても自然が豊かなところでしたね。いつも学校が終わるとランドセルを放り投げて山を駆け回ったり川で遊んだりしていました。外で遊ぶのが大好きな、田舎の子を地でいくような子でしたから、木登りをしたり、川で泳いだり、自然の中で遊ぶ中で、体のいろいろな筋肉とかをうまく使うことが自然に身に付いていて、それがサッカーにも活かされていたかもしれませんね。

サッカーを始めたきっかけは何ですか?学生時代はどんなプレーヤーでしたか?

私は友達が男の子しかいないような活発な子供だったんですが、地元の小学校に4年生から入れるサッカーのスポーツ少年団があって、その時は特にサッカーがやりたかったというわけではなかったんですが、男の子の友達が入るということでノリというか、流れで入部希望を出しました。監督には「女の子だけどやるの?」と聞かれて「やります」と答えたら快く受け入れていただいたので、それがサッカー人生の始まりですね。実際に入ってみても女の子だからやりにくいとかそんな抵抗は全くなかったです。
プレースタイルとしては、よく動いてゴールを狙いに行く方で、ポジションとしては今でいうトップ下のようなポジションでした。

アトランタ1996大会出場時の高倉氏

15歳で日本代表に召集されるほどの実力があったわけですが、当時は女子サッカーがそこまで競技人口が多くない中でプレーすることは大変だったのではないでしょうか?

当時は本当に女子がサッカーをやる環境が少なかったですし、今のような越境入学をしてサッカーをやるようなこともありませんでした。高校に上がるタイミングで親元を離れるという選択肢もあったんですが、学校の規定で(越境の場合は)親と住まなくてはいけないといった事情があったりとなかなか難しかったんですね。ですから、東京のチームに所属はするものの平日は福島に残って練習する必要があって、練習できる環境を探していたところ、男子校のサッカー部で快く受け入れてくださるところがあったので、平日は地元の福島で練習を、週末は東京のチームに、という生活を送っていました。

週末は東京のチームで活動していたのですが、当時は新幹線もなかったので福島~上野間が3時間15分かかりました。当時は土曜日も学校の授業がありましたから、授業が終わったらすぐに東京に行って、練習や試合をして夜7時か8時の上野駅発の電車に乗っていました。
東京から福島まで帰る中間地点あたりに、黒磯(栃木県)という駅があるんですが、その駅で電気の入れ替え作業があるんですね。そこまで来ると「ちょうど半分まで来たんだな」と感じたのを覚えています。当時を思い出すと、田舎から早く出たいという思いと、ふるさとを思う気持ちが混在した学生時代でしたね。

故郷福島にJヴィレッジという代表合宿の拠点ができたことへの思い

1997年、出身地である福島県に、のちにサッカー日本代表の合宿拠点となるJヴィレッジが完成しました。その時はどんな思いでしたか?

当時は私自身が選手としては終盤の方だったので「なぜこのタイミングなんだろう、もう少し早くできてくれればよかったのに」という思いもありました。
もちろん、よい施設ができてうれしく思いましたし、Jヴィレッジを拠点にいろいろな人の力がつながってサッカーの発展につながっていけばいいなと思っていました。実際に男子の日本代表ではトルシエ監督時代によく合宿で使われていましたし、なでしこジャパンにおいてもたくさん使わせていただいていました。一つの場所で集中的に活動することで強化につながったのは間違いないですし、代表の合宿が来ていることを知ってお客さんも観に来られて地域の活性化につながったとも思います。その施設が私のふるさとの福島にあるということはうれしく思います。

Jヴィレッジで活動されてきた中で、記憶に残るエピソードなどはありますか?

私がこれまでにJヴィレッジで活動したのは、アンダー世代の監督をしていた時なのですが、アンダー世代の選手たちはとにかく元気です。昼間たくさん練習しても夜も元気で、ある時お風呂で騒いで近所の人に怒られてしまい、それで私が選手に「ちゃんとお風呂にはいりなさい!」と怒ったことがありましたね。何でこんなこと言わなきゃいけないんだろうとか思いながら怒ったのを覚えています(笑)。
ただ、そんな元気すぎるところも頼もしくもあったりして、そういった意味でいうと、特にアンダーの世代はオフ・ザ・ピッチでもいろいろなことを覚えていくんだと思います。

Jヴィレッジの思い出を語る高倉氏

今お話にありましたが、「オフ・ザ・ピッチ」の部分で監督が大事にされていることはありますか?

本当にシンプルなことですが、サッカー選手も、あいさつがきちんとできるとか、使わせてもらった施設に感謝して礼儀正しく行動するとか人間的な部分がベースになってくると思っています。
サッカーは1人でやるわけではないですし、そういった人間としてのベースがないと(サッカーを)やる資格はないことを常々言うようにしています。選手の中には、特に技術的に高い選手に、自分1人で上手くなったようにふるまう選手もいます。そういう選手には個別に、人間的な部分を大事にしなさいと話をします。それでも変わらないような選手で、これまでにいい選手になったことをみたことはないですね。

2011年3月11日、東日本大震災発生。その時感じた福島への思い。Jヴィレッジへの思い。

東日本大震災ではご出身の福島県をはじめ日本中が大きな被害に見舞われました。当時は福島に対してどのような思いでしたか?

私のふるさとの福島がいろいろな被害に巻き込まれていく中で、東京に住んでいたこともあって何かしたいと思っても何もできない自分がいて、非常にもどかしい思いがありました。また、私は小さいころからサッカーをすることが楽しくて仕方なかったので、サッカーをする場所が奪われてしまった子どもたちのことを思うとやり切れない思いでした。

原発事故の対応拠点となり、Jヴィレッジのピッチを車両が埋めつくした

ピッチ上に生い茂った草

震災以降、代表合宿をはじめとしサッカーで活況を呈していたJヴィレッジが原発事故対応の拠点となってしまいました。Jヴィレッジが本来の活動ができなくなってしまったことに対しては、当時どのよう思いでしたか?

トレーニングで汗を流していた場所が、トラックや物資を運ぶための場所になってしまって、芝が踏みつぶされてしまったのを見たときは本当にショックでした。合宿所も作業される方が寝泊まりされる場所になっていましたし、もちろんそうせざるを得ない深刻な状況になっていたことは画面からも伝わってきました。ただ、私たちがサッカーをしていたころの風景ではなかったですし、見覚えはあるんですが、全く別の場所に見えていました。
当時は、復活するのはすごく時間がかかると思いましたし、それどころではないと思っていました。

Jヴィレッジの復活。代表監督として、福島に、Jヴィレッジに戻ってきたことへの思い。

2018年7月、Jヴィレッジは本来のトレーニングセンターとしての営業を再開しました。時を同じくして、監督として福島に、Jヴィレッジに戻ってきたこととなりますが、今後Jヴィレッジに期待することを教えてください。

施設の見取図も見させてもらいましたし、いろいろな人の話を伺うと、よりパワーアップしたというか、よりサッカーに集中できる環境を作っていただいたと思っています。先ほどお話ししたように、事故対応の拠点になったときは元に戻るまで時間がかかると思いましたし、多くの方の努力のおかげだと思いますが、想像より早く復活したことはすごくうれしく思います。
行ってみてから改めて思うこともあるかもしれませんが、また福島に帰ってトレーニングできることを楽しみにしていますし、よいトレーニングができるように一層がんばりたいと思います。今後も、いろいろな人や子どもたちの夢を実現できる場所になってくれればいいかな、と思います。

スポーツが被災地に対して果たす力についてお考えがありましたら教えてください。

被災された方の中には家が流されたりして元の生活ができない方が多くおられた中で、選手ががんばっている姿をみて少し元気が出たとか思ってもらえる力がスポーツにはあると思っています。
サッカーの話でいうと、トレーニングや戦術で力を研ぎ澄ますという作業は一番大事ではあるとは思いますが、打ったシュートがクロスバーに当たって入るのか入らないのか、打たれたシュートがキーパーの指先に触れられるかそうでないかというギリギリのところは、何か別の力も働いているような気もします。
2011年のW杯でなでしこジャパンが世界一を獲った時も、決して圧倒的に強かったわけではないですが、東日本大震災で日本中が被害を受けた中で、みんなの特別な思いが働いて、それにプラスして女子サッカー界が今まで積み上げてきたものが、あの澤選手のゴールにすべて乗ったのではなないかと思っています。

東京2020大会をきっかけに、(海外からも含めて)福島がどのようになると良いと思われますか?

決してスポーツの面で派手な活躍をしている県というわけではないと思いますが、福島県人らしく、地道に積み重ねていろいろなところで活躍できるようになってしていけたらと思います。

プロフェッショナルとして。代表監督としてのオリンピックへの思い。

選手時代にはアトランタ1996大会に出場されていますが、オリンピックとはどんなところでしたか?また、印象に残っている出来事はありますか?

小さい頃からオリンピックを目指していたわけではないんですが、今となっては特別な思い出ですし、「やり残したこと」があるというのがオリンピックに対する思いですね。
立場は監督に代わりましたけど、その選手として「やり残したこと」を監督としてもう一度チャレンジしていきたいなと思います。

アトランタ1996大会出場時の高倉氏(後列一番右)

現在は監督として、東京2020大会を目指す立場です。ズバリ東京2020大会での目標と、それに対する日本代表の現在地、目標を達成するための課題と、どのように取り組んでいくかを教えてください。

やるからにはもちろん一番を目指したいと思っています。けれども、そこばかりこだわりすぎるのではなくて、選手がベストパフォーマンスを出せる状態に持っていくことや、チームが1つになって戦えることも大事だと思っています。
今は(2018年6月22日現在)FIFAランキング6位ですが、それは日々変動していくものですし、勝負はやってみないと分かりません。ただ、いい位置を狙える場所にはいると思います。そのために選手とともに日々努力していきたいと思っています。

「日本らしいサッカー」とは何だと思いますか?

サッカーは垣根のないスポーツですし、日本人の場合はどうしてもフィジカル的な弱点は出てしまう。ただ、「日本らしいサッカー」、今回のロシアW杯で男子が見せてくれたと思いますが、日本人は組織力が高くて、足元の技術もあって、戦術理解度も高い。また、チームへの献身性もある。そういったものがうまくかみ合ってくればフィジカル的な要素で向かってくる強い相手にも十分戦えると思いますし、そういう風に戦っていきたいと思っています。

学生時代の思い出を語るときは温和な笑顔を浮かべながらインタビューに答えていただいていましたが、サッカーの話になると表情が変わり、勝負師のそれとなっていました。
また、これらの表情から、故郷福島への思い、サッカー人としてJヴィレッジへの思い、監督しての日本代表への思いなど、いろいろなものを背負って代表監督のミッションを務められていることも伝わってきました。東京2020大会で監督の「オリンピックでやり残したこと」を成し遂げられるよう期待したいと思います。

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