1964年と2020年の東京パラリンピックに関する20の事実について

1964年と2020年の東京パラリンピックに関する20の事実

50年前に開催された東京1964パラリンピック競技大会、そして東京2020パラリンピック競技大会に関する20の事実をお伝えします。

国際パラリンピック委員会は1964年東京パラリンピック大会50周年を祝うとともに、2020年大会にも期待を寄せています。

東京2020パラリンピック競技大会

1. 東京はパラリンピック競技大会を同一都市で2回開催する初めての都市となります。1964年に、21か国375名のアスリートが9競技に於いて競い合い、アジアで初めてのパラリンピック競技大会を開催しました。

2. 二つの大会、60日間にわたるスポーツのフェスティバル。東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会は、それぞれ独自の際立つ特色と雰囲気を持つでしょう。しかし同時に60日間にわたる統合された一つのスポーツフェスティバルとして運営されます。

3. 東京2020パラリンピック競技大会は、8月9日に終了するオリンピック競技大会に続いて、8月25日から9月6日まで開催されます。朝霞射撃場で行われる射撃以外、殆どの競技はパラリンピック選手村から8km圏内で開催され、東京ベイゾーンとヘリテージゾーンの主要な二つのゾーンに分かれます。

4. 東京はその高いおもてなし力、公共交通機関、タクシーサービス、そしてクリーンな街路で広く知られています。47都道府県中最大の都市であり、23区26市5町8村があります。

5. 東京2020パラリンピック競技大会は、世界でも最も良好なアクセス可能で、選手、関係者、観客にとって最高基準を満たす都市で開催されます。

6. パラリンピック選手村として使われる合計44ヘクタールの土地からは、東京湾の素晴らしい眺望があります。選手村は早いペースで開発が進んでいる東京のウォーターフロントエリアの晴海ふ頭付近に位置し、東京2020大会のコンセプトであるベイゾーンとヘリテージゾーンが交わる所です。歴史と活気があるショッピングエリア銀座、そしてお台場のウォーターフロントにも近いエリアに位置します。

7. 230万ものチケットが観客に用意されます。

8. 新しい未来型国立競技場には8万の座席が備え付けられ、競技のみならず開閉会式が行われます。現行の国立競技場からの建て替えで、2014年の12月に解体工事が始められ、2015年10月頃から新たな建設が始まります。

9. バドミントンは東京2020年パラリンピック競技大会でデビューを果たすことになります。

10. 首都圏に住む3500万の人々は、2020年大会を心から待ち望み、1964年から始まった意識・価値観の変革をめざしています。

※出典 2, 3, 5, 6, 7, 10:Tokyo 2020 立候補ファイル
    4:トリップアドバイザー/東京都公式ホームページ
    9:国際パラリンピック委員会

東京1964パラリンピック競技大会

1. 東京1964大会では初めて、「パラリンピック」と言う名称が公式資料の中で使われました。また、オリンピック競技大会後、そのいくつかの同じ会場を使って続けて開催された大会でもありました。

2. パラリンピックムーブメントの父であり、国際ストークマンデビル大会委員会の会長であったルードイッヒ・グットマン博士は、ローマ1960大会で偶然渡辺華子女史に出会い、渡辺氏は東京で競技大会を開催することに最初に賛同しました。彼女は別の会議へ出席する為に訪れていた折に、ローマ大会をたまたま観戦したのでした。

3. 東京1964大会で、英国政府は初めてパラリンピック選手を支援しました。チームにはオリンピックチームと同様に遠征費が支給されました。

4. ストークマンデビル競技大会組織委員会は、チームを東京へチャーター機で輸送することについて、いくつかの航空会社と交渉しました。そして最終的には日本への共同運航も可能になりました。また、特別に考案された細めの車いすにより、機内での移動も快適なものとなりました。

5. 東京1964大会では、当初8,000万円の予算が組まれ、それらは政府、都市、そしてその他大型寄付金によって賄われるはずでした。しかし、もっと多くの予算が必要であることがじきに分かりますが、メディア報道のおかげで、およそ2,000の個人及び、学校やスポーツ団体を含む組織からすぐに寄付金が集まるようになり、費用を賄うことが出来ました。

6. 東京1964大会の評価として、グットマン博士は「我々のコントロールを超えた状況により、競技は4日半という短い期間に強行され、身体に麻痺があるスポーツマン並びにスポーツウーマンは東京到着後36時間から48時間後に競技を行わなければならなかった。悪影響がなかったどころか、そんな強行による負荷にも関わらず、驚くことに記録は更新されたが、将来の大会に於いてはその様な選手への負荷は回避されるべきである。」と言及しました。当時選手村がオリンピックからパラリンピックに明け渡されてから開会式までの間がたった三日しかありませんでした。殆どの競技がオリンピック選手村の中やその周辺で開催されました。

7. 水泳等のいくつかの競技については、オリンピックと同じテクニカルオフィシャルなど、障がい者競泳に経験のない人員が起用されました。言葉の壁もあり、いくつかの問題も起こりましたが、専門家のテクニカルアドバイザーをプールに連れて行き、クラス分けの違いを説明してもらうことで解決しました。

8. 東京1964大会の公式レビューによると、700名のレポーターが大会を報道する為に日本全国からやって来ました。今日の大会ではメディアの宿泊施設は別にされなければなりませんが、当時はメディアも選手村に一緒に滞在し報道していました。

9. 東京1964大会開催は日本における障がいを持つ人々への認識にポジティブなインパクトを与えました。これにより労働省は障がい者の身体的及び精神的能力を認め、彼らを雇用する工場を創設しました。

10. 選手による箱根への公式日帰り訪問では、途中のある村で、数百もの子供たちが、沿道に並び、バスの列を歓迎しました。

※出典 1~10:"The 1964 International Stoke Mandeville Games for the Paralysed in Tokyo"
1964大会と2020大会を比較したインフォグラフィック