復興の火:岩手県 再びたくさんの人に訪れてもらえる三陸を目指して 三陸鉄道 金野淳一さん

ギリシャで採火され日本に運ばれた東京2020オリンピック聖火は、東日本大震災からの復興への願いを象徴する「復興の火」として2020年3月20日から3月25日までの間、宮城県、岩手県、福島県の順番で各2日間展示されました。

今回は、岩手県で行われた復興の火の展示にまつわる方のストーリーをご紹介します。

三陸鉄道 金野淳一さんインタビュー動画 「再びたくさんの人に訪れてもらえる三陸を目指して」
07:27

2020年3月22日(日)、ランタンに入れられた聖火は、宮古市にある宮古駅を出発。釜石市にある釜石駅まで「三陸鉄道」によって運ばれました。

この聖火を運ぶプロジェクトの責任者となったのが、三陸鉄道創業当時に入社し、以来30年以上三陸鉄道を支えてきた金野(こんの)淳一さんです。

「オリンピックの聖火ですから、ここまで運ぶことが非常に重要な使命だと思っていました。なんとか無事に時間通り運べて本当に安心しています」

三陸鉄道で宮古市から釜石市に運ばれた「復興の火」
三陸鉄道で宮古市から釜石市に運ばれた「復興の火」

地域をつなぐ新しい鉄道会社に憧れて

三陸鉄道は1984年、三陸地区の方々の生活の足として全線開通しました。

北海道札幌市出身の金野さんは、当時岩手県内の大学に通う学生で、就職活動中に新しい鉄道ができることを知り入社。開業した年は年間268万人の利用客がいたといいます。

「開業したときはものすごい数のお客様で、そのなかで我々新人の車掌は本当に大変な状況だったんですね。その状況も経験しましたし、また、その後もお客さまが少なくなる中で、新しいイベント列車を作ろうとか、また沿線の方々とどうやって結びつきを強めていこうかなど、苦労して仕事をしてきました」

人口減少や観光客の減少にともない利用客は年々減少し、年間100万人を下回るようになりました。

車両とアニメのコラボレーションを行い、観光客を誘致、ファンクラブを作るなど鉄道を走らせ続けることに奔走し続けました。

「小さな会社なのでお客さまと距離が近いんですね。それぞれの社員がお客様と仲良くなってしまって、乗ってくる、降りていくその都度「こんにちは」「ありがとう」という声掛けをしてもらったり、たまにはお客様から差し入れをいただいたり、とにかく顔の見える会社。地域とのつながりが強いので、とても楽しく仕事ができています」

「復興の火」が到着する駅には多くの方々が笑顔で待っていてくれた
「復興の火」が到着する駅には多くの方々が笑顔で待っていてくれた

三陸に甚大な被害を及ぼした東日本大震災

2011年3月11日に発生した、東日本大震災。

震災当時、宮城県で会議をしていた金野さんは、2日間かけて宮古市に戻りました。

家族とも会社とも連絡のつかない不安な中たどり着いた三陸で、目の当たりにしたのは想像をはるかに超えた状況でした。

津波で壊された高架橋
津波で壊された高架橋
提供:三陸鉄道株式会社

「本当に言葉にならない感じでしたし、会社の大きな構造物がいくら大きな津波でも流されるとは思っていなかったので、大きな橋とかがまるまる流されていたことには言葉をなくしましたね」

それでも待っている地域の人がいるから、鉄道を動かさなくてはいけない。

列車を走らせようと決めてからは、一日でも早く復旧させようと一丸となって作業を行いました。

5日後には被害の少なかった区間で運行再開。しかし、車両の燃料が供給できないなどたくさんの苦労があったそうです。

東日本大震災から2日後の線路
東日本大震災から2日後の線路
提供:三陸鉄道株式会社

「地域の方が駅の掃除やメンテナンスをしてくれていて、「早く来てくれ」「うちらは待っているんだ」そういうお声がけをいただいて、とにかく一日でも早く復旧させなきゃいけないという感じでした。三陸鉄道は、鉄道会社というよりは皆さんのものなんです」

地域のために地域のみなさんと復旧を続け、3年の歳月をかけ、2014年4月6日、全線開通を果たしました。

月日がたっても変わらない三陸の温かさ

東日本大震災から9年。

列車から見ている風景は少しずつ変わってきました。

「災害で溜まったがれきなどはきれいになりましたし、町がきれいになったのは確かに見てきていますが、なかなか、元通りにはいかないかなと思っています。また、震災からの復興という言葉をよく使いますが、実際には町の人たちは新たなコミュニティー、新たな生活を今からまた作っていかなくてはいけない。そういうふうに感じながら町を見ています」

復興を続ける三陸の町を走る三陸鉄道
復興を続ける三陸の町を走る三陸鉄道

決して元通りではなく、そこには海が見えないくらい大きな防波堤ができ、家々が立ち並んでいた街並みは底上げをされ、空き地へと変わりました。

それでも、9年の月日がたち景色が変わっても、変わらなかったもの。

それは、金野さんが惹きつけられた三陸の魅力、そこに住む人々の温かさでした。

「もともとこの辺は田舎の町で、元気な方たちが多い町ですので、少しずつでもいいから復興していって、新たな町ができて、そこを列車が走って、みなさんが「なんか楽しい」そういった街づくりができればいいなと思っています」

本当の意味で復興に向かってくシンボルに

東京2020オリンピック聖火が三陸に来ると決まったことを「奇跡のようなこと」だと話す金野さん。「復興の火」を歓迎する地域の方も想いは同じでした。

大きな大漁旗で「復興の火」をのせた三陸鉄道を見送る地元の人々
大きな大漁旗で「復興の火」をのせた三陸鉄道を見送る地元の人々

「どこの駅もたくさんの人が待っていてくれて、大きな大漁旗を振ったりして本当に歓迎してくれて、みなさんこの日を待ち望んでいたのだなと思いました。それでも復興の火の後ろに、まだまだ作っている途中の防潮堤があったり、住宅の建っていない空き地が広がっていたり。早く復興の火のように町が復興していけばいいなと思って見ていました」

復興の火が展示された駅では、目を潤ませながら見ている人々の姿がありました。

「こんなところまで来てくれてありがとう」「今日をずっと楽しみにしていたんだよ」

復興の希望として走り続けた三陸鉄道が運んだ復興の火は、東京2020オリンピックの聖火の展示としてだけではなく、復興を続ける東北に温かい輪を作りました。

しかし、町が復興する一方で、工事が終われば再び町から人が少なくなってしまうという現状があります。

だからこそ、金野さんは再び人と笑顔で賑わう三陸を取り戻すきっかけになってほしいと話します。

「復興の火というタイトルにもありますけれど、これから本当の意味で復興に向かっていくというそのシンボルでもあるのかなと思います。オリンピックを通じて海外からも三陸に来ていただいて、ここの良さを感じていただけたらありがたいですね。三陸は素晴らしい景色とかおいしいものとかたくさんありますけれど、何より人が良いので、ぜひ人と触れ合っていただきたいです」

たくさんの方に三陸を訪れてほしいと話す金野さん
たくさんの方に三陸を訪れてほしいと話す金野さん

三陸鉄道のスローガンである「笑顔をつなぐ、ずっと…。」

今年還暦を迎える金野さんはこれからも、東京2020オリンピックを通じて三陸の地に世界からたくさんの人が訪れることを願いながら、その地で笑顔と鉄道をつないでいきます。

2020年3月20日から22日まで東日本大震災からの復興を願い岩手県、福島県、岩手県をまわった「復興の火」について

東京2020オリンピック聖火リレー