カヌー(スプリント)
カヌー(スプリント)
水面を自分の力だけで進んでいく 高木裕太がハマった競技の魅力
パラスポーツは、1度見たらきっとハマる! オリンピックの競技とは異なる見どころが多く注目度も年々増している。選手が考える競技の魅力とは? やっていて楽しいと感じるときは? 東京2020パラリンピック出場を目標に2017年からパラカヌーを始めた高木裕太は日々、自分自身と向き合いながら大舞台を目指している。そんな彼がなぜパラカヌーに心奪われ、「ハマった」のか。
東京2020パラリンピックに出たい
リオ2016大会で初めて競技として実施されたカヌー。200mのスプリントで争われ、東京2020大会ではカヤックに加えヴァー種目も実施される。初のパラリンピック出場を目指す高木は、3つに分けられたカヤック種目のクラスの中で、一番障がいの重いKL1(カヤックレベル1)。胴体が動かせず、肩の機能だけで水上を漕ぐクラスにおいて、競技開始1年で日本代表へと上り詰めた。
「リオが終わった時に、東京2020パラリンピックに出場したいと思ったんです。就職をしようと内定をもらっていましたが、どこか中途半端で終わってしまったスポーツを、もう一度本気でやりたいとパラリンピックを見て背中を押されました」
「とにかく体を動かすことが好き」という高木は、小学校1年生から野球に明け暮れた。高校1年生までは投手、その後捕手に転向すると、3年生の夏には4番バッターに座った。「肩が強かったんです。始めたらとことんやってしまうので、毎日逃げずにバッティング練習をしていましたね」。
大学進学後も野球を続けたが、大学1年生だった2013年、バイクで練習に向かっている途中に車と衝突した。あばら骨が折れて肺に刺さり、脊髄を損傷する大けがを負った。「事故が起きた時は、息がしにくくて意識が飛んだら死ぬんじゃないかと思って必死でした。周りの人が声をかけてくれて、救急車が来たと思ったら意識が飛んで、起きたらICU(集中治療室)でした」。目が覚めた時、「生きていてよかった」と思った高木は、半年間の入院生活でも、とことんリハビリと向き合った。胸から下を動かすことが難しくなり、野球で鍛えた下半身は筋肉が落ちた。「自分の体が変わってしまって必死でした。一人で生きていかなきゃいけないと目の前のことに一生懸命でした」。
必死にリハビリを続けているうちに、もっと体を動かしたいと趣味として車いすテニスを始めるが、車いすテニスにはクラス分けが少なく、「もっと自分と同じ障がいのクラスで戦えるものをやりたい」とパラリンピックに出場できる競技を探した。
東京2020大会に出場するために再び本気でスポーツをはじめた
日本障害者カヌー協会
水面を自由に動くことができる
そんな時に出会ったのが新競技の「カヌー」だった。リオから帰国した選手に教えてもらい、すぐに大阪から岐阜に行き、初めてカヌーに乗った。
「初めて乗った瞬間『水面がこんなに近いのか』と驚いたことを覚えています。それまでは船酔いするので船が嫌いだったんですが、すぐにやってみたいと思いました。」
水に対しての恐怖心はなく、初心者用の幅の広いカヌーでは、水上を自由に進むことができて楽しかった。2017年の年明けからは本格的に始め、3ヵ月後には大会に出場すると、8月には競技用カヌーに挑戦した。しかし、競技用はバランスを取るのが難しく「一生乗られへんかも」と感じた。バランスを取るのが難しく、1秒ももたずひっくり返ってしまう。高木の場合、下半身を使うことができないため、上半身のみでバランスを取らなくてはいけない。試行錯誤の末、自分専用の体を支えるシートを取り付けバランスを取れるようになったが、10m進んでは落ち、20m進んで落ちを繰り返す日々だった。それでも、とことん練習に取り組んだ高木は、シートを使用してから1ヵ月で日本選手権に出場し優勝を果たした。「とにかく『勝ちたい』という思いが強かったですね」と必死だった当時を振り返った。
自分専用のシートと共に練習を重ね、1か月で優勝を果たす
日本障害者カヌー協会
障がいは人それぞれ、真似ができない難しさ
高木が完全に動かすことができるのは胸より上のみで、胸から下の神経が麻痺しているものの、感覚をつかむことができる箇所もある。
「お腹のあたりとか若干効いているところもあるんですが、自分でも完全にはわからなくて。感覚がないため、パドルで水をつかむ重さにどこまで耐えられるのかもわからず、装具によっては体が飛んで行ってしまったり、自分の変化によっても変わっていくので、なかなか安定しないです」
競技歴の短い高木は、自分の障がいと向き合うことに時間が必要だと感じている。水を漕ぐために必要な筋肉をつけるため、ウエートトレーニングを重点的に行い、自炊も始めて食事も変えた。もう一つはテクニックを上げることだが、これが難しいという。野球に打ち込んだ高校時代に野手へ転向した時には、上手い選手の動画を見て真似をし、4番バッターになることができた。その経験から真似をしてみることが、一つの方法だとはわかっているが、障がいは人それぞれ違うため、同じように動こうと思っても動くことができないのだ。
「自分の体がどこまで動くのか、まだまだわからないところもあります。頭で描く3Dの映像と、実際の動いている動作がマッチングできているかが難しくて。頭では動いていると思ってもうまく動けておらず、ひとつひとつステップアップするごとに疑問が出てきて、少しずつ調整して変えていく感じです。真似できず、答えがないのが難しいですね」
海外遠征の際には同じクラスのトップ選手に装具を見せてもらったり、トレーナーに指導を仰いでいるが、思い描いた漕ぎ方は自分で練習を重ね見つけるしかない。だからこそ、東京2020大会延期となった1年間をもっと自分の体を理解する時間にしようと日々向き合っている。
カヌーを知ってもらいたい
東京2020パラリンピック出場には、2021年5月にハンガリーで行われる予定のワールドカップで上位に入ることが最低条件となる。
「最初は東京でメダルを取ると言っていたんですけど……(笑)だんだん自分の体のことがわかってきたので、まずはパラリンピックに出ることが一番です。そこも今の状況では難しいので、まだまだ速くならなくてはいけない。最大限の力を出せるようにすることが今の目標です」
現状、日本でカヌーの知名度は低く、会場に観客が詰めかけることは少ない。しかし2019年、東京2020大会会場となる海の森水上競技場で行われた試合には、所属会社の仲間や家族が訪れ、盛り上がった。水上を自分の力だけで進みながら、スピードを競う姿を見てもらいたいのはもちろんだが、乗った瞬間に自分を夢中にさせてくれた、「カヌー」というスポーツをもっと広めていきたいと心から願う。
「カヌー始めたことで人生が大きく変わりました。様々な人に会え、海外にも行ったり、パラリンピックという目指すものができて、新たな世界を知ることができました。風も波もなく水面がフラットで鏡面反射している中を一人で漕いで進むときが本当に最高。健常者だったらカヌーに出会えていなかったので、水面でできるスポーツに出会えてよかったです」
とことん自分自身と向き合い続ける高木はさらに成長を重ね、東京の海で世界相手にその力強さとスピードを見せつける。
持ち味の肩の強さをいかし、パラリンピック出場を目指す
日本障害者カヌー協会
One Minute, One Sport パラカヌー
01:23