スタッツマンが考える「最強のアーチェリー選手」とは

パラアーチェリー界のスター、マット・スタッツマン
パラアーチェリー界のスター、マット・スタッツマン

パラアーチェリーのマット・スタッツマンは2017年、一般(健常者)のアメリカ代表に選ばれた。当時37歳、その時点での全米ランキングは7位、世界ランキングは33位だった。

アーチェリー選手として頭角を現していく中でスタッツマンの考える「最強のアーチェリー選手」の概念は変わっていった。

「「常に勝ち、トップに君臨し続ける選手が最強のアーチェリー選手」以前はそう思っていましたが、今は必ずしもそう思いません」とスタッツマンはいう。

「他の著名なスポーツ選手を見ても、常に勝っているわけではありません。それでも他の選手より抜きん出ているのはなぜか。それは自分のスポーツをよりよくしているからです」

「私が世界一のアーチェリー選手と呼ばれるためには、自分が始めた時よりもどれだけアーチェリーをよいスポーツにできるかだと思います」

たとえ失敗しても、両親は「もう一回やってみよう」と。おかげで既存の枠にとらわれない考えを持てるようになりました。

腕のない人生に慣れる

スタッツマンは元気に生まれたが、腕だけがなかった。医学的な説明はなかった。生まれてすぐに養子に出され、一目ぼれした両親に引き取られた。小さい頃から両親はなんでも自分でやってみるよう促した。失敗した時には、それも経験として受け止めた。

「両親の教育方針が違ったら、今、自分はここにいないと思います。なにしろ小さい時から両親は私に「お前はできる」と言って育ててくれたので」とスタッツマンは振り返る。

「たとえ失敗しても、両親はもう一回やってみようと言ってくれました。おかげで既存の枠にとらわれない考えを持てるようになり、世の中に適応することを学びました。一から十まで親が手を出すことはなかった。だからそうなれたんです」

スタッツマンの人生を振り返ってみると、2009年の頃は家にいるだけの夫。仕事もなく意気消沈していた。家族を養うことができなかったからだ。しかし26歳のある日、テレビで矢を射る男性を目にした。これなら自分にもできると思ったスタッツマンはすぐさまアーチェリーの店に行き、弓を買いたいとカウンターの店員に言った。

「店員はけげんな表情で僕をみましたよ。だって腕がない人は普通、弓に用はないですからね」

「どうやって射るつもりなのか聞かれたから、こう答えました。わからないけど、身の安全のためにとにかく部屋から出ていったほうがいいよ、と」

スタッツマンは試しに矢を天井に射ってみた。その瞬間、これだ、と確信に変わったという。

パラリンピックへ、そして東京2020大会へ

スタッツマンがアーチェリーを始めたのは、もともとは鹿狩りをして家族を養う足しにしようと思ったからだ。わずか3年後に自分がどうなっているかは、当時はまだ知る由もなかった。

ある日、スタッツマンの鹿狩りの腕前を見た友人が試合に出ることを勧めた。そうして2010年、初めて試合に出場する。ほどなくしてささやかながらスポンサーからの支援や賞金を得られるようになった。しかし、世界一のアーチェリー選手になることを目標に、二度と競技大会の余興にはならないと誓ったスタッツマンは、練習に打ち込んだ。

その後、パラリンピックの予選大会で優勝し、ついにはアメリカ代表チームの第1シード選手としてロンドン2012パラリンピックへの出場を果たした。

ロンドン2012パラリンピックのアーチェリー男子個人コンパウンドで銀メダルを獲得
ロンドン2012パラリンピックのアーチェリー男子個人コンパウンドで銀メダルを獲得
2012 Getty Images

それまで国際大会の経験が一度しかなく、ほとんど知られていなかったスタッツマンだが、ロンドン2012パラリンピックで鮮烈デビューを果たす。男子個人コンパウンドオープンで銀メダルを獲得。しかし残念ながら4年後のリオデジャネイロ2016パラリンピックはベスト16に終わり、表彰台に上がることはできなかった。

リオの後、スタッツマンはパラアーチェリーからしばらく離れることにした。その間、一般(健常者)の全米選手権に出場。そうすることで、再び東京2020パラリンピックに照準を合わせることができた。

「リオの時には体重が103kgあったんです。太りすぎです。だから次の東京に向けて体調管理に努めてきました」

リオデジャネイロ2016パラリンピックで矢を射るマット・スタッツマン
リオデジャネイロ2016パラリンピックで矢を射るマット・スタッツマン

「27kg減量しました。それで息切れすることなく長時間にわたって射ることが可能になりました。腰痛も消えて体調も良くなりました。コンディションには自信を持っています。極めて遠くにあるものを標的にするアーチェリーではなおさらちょっとした自信は非常に重要なんです」

「東京ではリオより良い結果を出したい。自分のプレーができれば可能だと思います」

競技をやめる機会はいくらでもありましたが、やめませんでした

競技をやめる機会はいくらでもあった。それでもスタッツマンはやめることはなかった。最初から家庭のため、特に3人の子供にとって最良の父親になろうと決めていたからだ。

「やめる機会はいくらでもありました。やめるのにもっともな言い訳もいくらでもありました。でもやめませんでした。このまま努力や挑戦を続けて前に進んでいくことに決めました」

周囲を驚かせ刺激を与える存在

スタッツマンにとって、障がいゆえにこれはできないだろうと考える人に出会うことはしょっちゅうだ。数えきれないほどある。

ある時、階段を上っていたら、腕がないのに階段を上れることに驚いていた人がいた。

「みんな私に腕がないので何もできないと思って、階段を上るだけで驚くのです」

あるいは空港でタブレットをいじるスタッツマンを見て、とうとう「手を使った方が簡単ですよと」教えてくれた男性もいた。

最も驚かれるのは車の運転だろう。スタッツマンは足でハンドルをにぎるのだ。スタッツマンが車から降りて、腕のある五体満足の家族を従えている姿を見ると、誰もがびっくりしたような顔をする。

「どれだけアーチェリーをよいスポーツにできるか」そのために努力や挑戦を続ける
「どれだけアーチェリーをよいスポーツにできるか」そのために努力や挑戦を続ける

「みんなこんなことはあり得ないって思うんですよ」とスタッツマンは笑う。

スタッツマンは上半身に障がいのあるアーチェリー選手に刺激を与えてきた。去年のチェコ共和国での試合には腕のない選手が2人出場した。「これで腕のない選手が3人になりました」とスタッツマン。

2人はスタッツマンに触発されてアーチェリーを始めたのだそうだ。

「つまり誰でも矢を射ることはできるってことですよ。その気があればね」

東京2020パラリンピック 22競技紹介:アーチェリー
現在、関連するコンテンツはありません