世界のアスリートに愛される大分国際車いすマラソン パラリンピックが地域を変える(第1回)

世界のアスリートに愛される大分国際車いすマラソン パラリンピックが地域を変える(第1回)

1981年に初開催して以来、大分国際車いすマラソンは2018年11月の大会で38回目を迎えました。男女ともに今も破られていない世界記録がこの大会で樹立されるなど、現在はIPC(国際パラリンピック委員会)の公認大会かつ、国内外のトップ選手を含む200名以上の車いす選手が毎年集まる世界最高峰の大会としてその名を轟かせています。また輝かしい記録以上の特色として、毎年沿道には数多くの人が応援に駆けつける「地元に愛された大会」として、世界にも知られるようになりました。これだけの規模でのパラスポーツ大会が毎年成功裡に進められていることは世界でもほとんど例のないことです。

なぜ大分には、それができたのでしょうか? また、障がい者スポーツとの関係を通じて、大分は社会をどのように変えることができたのでしょうか?

6本の車線全てが車いすアスリートで埋め尽くされる

大分県大分市。毎年10月末頃になると市の中心地にあるサイクリングロードには、国内外から集まった数百の人々でにぎやかになる。大分は国際観光都市として、このところ外国人などの観光客を見ることもそれほど珍しくなくなってきてはいるが、この期間の大分は、サイクリングロードに集った彼らの存在によってひと際活気に溢れ、祝祭的なムードに包まれる。というのも、そこにいるのは単なる観光客ではなく、世界中から集まった車いすのアスリートたちだからだ。彼らの多くは、鍛え抜いてきたことが一目でわかる筋骨隆々の上半身を駆使して、42.195キロという途方もない距離、つまりフルマラソンのコースを最速で走るために練習を重ねる車いすアスリート。中には、重度の障がいがありながらもハーフマラソンの完走を目指す参加者や、楽しむことを優先した市民車いすランナーもいるが、共通しているのは、この大会に参加するために、人種や国籍、障がいの程度を超えて、世界中から集まっているということだ。

「彼らを見ると「ああ、またこの季節が来たんだ」と思います」と話すのは、大分市で団体職員をつとめ、1996年の第16回大会から大会運営に関わる池永哲二さん。

「だいたいレースの5日前くらいになると、市の至るところで大会に来た選手たちが見られるようになるので、大会当日に会場に来られなかったとしても選手たちと触れ合う市民はとても多いと思います」

大会当日、スタート地点となる大分県庁前の道路は交通規制がかけられ、両側計6本の車線全てが車いすアスリートたちで埋め尽くされる。昨年11月の第38回大会は16か国から223名が参加。そのうち79名がフルマラソンにエントリーし、男女ともに世界記録保持者を含むトップクラスの選手も招待された。

男子マラソンよりも速い車いすマラソンの時速

選手は通常の車いすとは違って、レーサーと呼ばれる競技のためだけに開発された軽量な車いすに乗り、トップ選手になると平均時速30キロ超、下り坂では時速50キロを超えるスピード(70キロを超えることもあるという)でコースを疾走する。2時間弱で完走する男子マラソン選手でも平均スピードは時速20キロ程度であることを考えると、このスピードの凄さがイメージできる。実際、この大会で最速のカテゴリーとなるT34/53/54男子で優勝したスイスのマルセル・フグ選手のゴールタイムは1時間23分59秒であった。

「彼らが一斉に走っていく姿は本当に壮観です。注意して見ていないとあっという間に過ぎていってしまう。まるでカーレースのようです」(池永さん)

色とりどりの車いすアスリートが一斉に道路を疾走する姿は圧巻で、その圧倒的なスピード感は他のスポーツでは体感できない。大分では98年からラジオの実況中継で親しまれていたが、2016年からはテレビの全国放送も始まり、知名度が高まっている。しかしながら、この大会が世界でも有数なハイレベルな大会であるだけでなく、地元に親しまれ、それゆえにアスリートたちからも愛されている世界でも特別な大会だ、と知る人は少ないかもしれない。

途切れない沿道の応援と2,000人のボランティア

「大分は車いす国際マラソン大会があるので私にとっては特別な場所です。ここは本当に素晴らしい場所で、魅力的なのですが、何よりも最大の魅力は"人"にあるのだと思います」

そう語るのは、T51カテゴリーで優勝し、2017年の世界ランキングでも4位につけた南アフリカのピーター・ドゥ・プレア選手。

「みなさん本当にフレンドリーなのです。車いすマラソンの大会でも、レースの時は大会のボランティアがいつも支えてくれます。私にとっては何よりもそこが大分の魅力であり、この大会を特別に感じるポイントです」

大会が38回途切れることなく続き、海外からトップ選手が集うようになった理由の1つとして、地元の大分市民の心温かいサポートを挙げる選手、関係者は多い。というのも大会時、約2,000人のボランティアが選手をサポートするだけでなく、沿道には数多くの市民が駆け付け、参加者を応援する姿が大会の風物詩になっているからだ。そうした風景は世界でも珍しく、なおかつそれが40年近くも変わらず続いていることは、自然発生的な盛り上がりであることを示唆する。それが国内外問わず多くの参加者がもう一度参加したいと思わせる大きな理由となっているのだ。最近では、大会前日に行う開会式がオープンになり、多くの市民が参加できるようになった。有力選手たちが市内中心部の商店街をパレードすることも恒例となり、選手と地元市民との距離はより縮まった。

大会開催のきっかけは、東京1964パラリンピック

地元市民、海外選手ともに魅了する世界でも珍しい大会となったこの大分国際車いすマラソンが初めて開催されたのは1981年。国際連合の国際障害者年に大分県の記念行事で「世界初の車いす単独のマラソン」として行われた(初年度はハーフマラソンのみ、フルマラソンとしては第3回の83年から)。当時、日本で車いすの選手が一般のマラソン大会で走ることは認められておらず、それならばと逆転の発想で「車いす単独」のマラソン大会を世界に先駆けて開催することにした。

大分の障がい者スポーツへの取り組みは当時、世界的にも先進的だった。それが実現したのも、大分における障がい者スポーツとのつながりはこの年がスタートではなく、東京1964パラリンピックまで遡るからだ。日本初となるパラリンピックの開催はこの後、大分を舞台に、日本における障がい者の立ち位置や、障がい者スポーツの姿を大きく変えていくきっかけになるのである。

(第2回に続く)