野村香奈、ミスが許されない銀行員はFWとして失敗を恐れない  二足のわらじを履くアスリートたち 

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東京2020大会に出場する、もしくは出場を目指すアスリートの中には、競技者とは別のキャリアを築く選手がいる。
ホッケー女子日本代表として、自身初のオリンピック出場を目指す野村香奈もその1人だ。幼い頃に夢見たオリンピックの舞台に立つため日々練習を行いながら、平日は銀行員として勤務している。仕事もできるオリンピアンになりたい。「ホッケー選手」と「銀行員」という二足のわらじを履く野村の生き方に迫った。

「ホッケーのまち」に生まれ、18歳から日本代表候補に

奈良県にある地方銀行で働く野村は、週3日8時から17時過ぎまで仕事をし、週2日は午後に勤務として所属チームで練習を行っている。
「銀行の窓口は15時に閉まりますが、勤務は17時10分までです。何もミス無く帰れる日が、幸せですね(笑)」
しかし、「仕事の代わりにホッケーをさせてもらっている」と話す野村は、定時に上がれた日も自主練習に励んでいる。それは幼い頃から追い続ける夢を叶えるためでもある。

「ホッケーのまち」福井県越前町に生まれ、小学4年生の時に授業で初めてホッケーに触れた。本当はサッカーをしてみたかったが、環境がなくホッケーを続けた。そのうちにボールゲームであること、シュートをゴールに打ちゴールネットを揺らすことが、どこかサッカーに似ているとホッケーにのめりこんでいった。

中学2年生の時、アテネ2004大会にホッケー女子日本代表が初めて出場。
「すごく輝いてキラキラしていて、卒業文集とかで夢を聞かれると、日本代表、オリンピックに出るって答えるようになっていました」
テレビ越しに映った光景が「オリンピックに出る」という目標を明確にし、部活が終わっても、地元のクラブチームで一回りも二回りも体の大きな男子選手相手に「負けたくない」と、夜遅くまで練習を続けた。そして18歳で日本代表候補に選ばれた。

「ホッケーのまち」に生まれ、毎日夜遅くまで練習を続けたという野村
「ホッケーのまち」に生まれ、毎日夜遅くまで練習を続けたという野村

オリンピックを目指しながら、仕事もできる人になりたい

大学卒業後、「仕事もできる人になりたい」と銀行に入行。それから8年がたったが、銀行の世界は奥が深い。
「銀行業務は、お客様の大切なお金を扱うため特に正確な仕事が求められますが、(入行したとき)先輩がすごくこだわりを持って仕事をしていてカッコいいなと思って見ていました。ただ実際に業務に携わると専門知識も多く、まだまだ追いついていない部分もたくさんありますが、失敗を恐れず頑張っています」

現在は、人事総務部に在籍しており、採用研修の手伝いなど事務作業を中心に担当している。同じ部署には、過去にロンドン2012大会に出場していた先輩が所属していたこともあり、同僚や上司も「頑張ってこいよ」「暑いけど倒れないようにな」と快く練習に送り出してくれる。また、本社の受付を手伝っている時には、練習でこんがりと焼けた肌を見た取引先から「ホッケー部か。頑張れよー」と、声をかけられた。彼らは週末行われる試合にも足を運んでくれるという。
「制服を着ているとおとなしいので、『あんなにすさまじいプレーをするのか』『めっちゃ足速いな』とびっくりされます。でも皆さん優しいですし、応援してくれて本当にありがたいです」

「カッコいいな」と憧れた銀行員にはまだまだ遠い
「カッコいいな」と憧れた銀行員にはまだまだ遠い

リオデジャネイロ2016大会はリザーブ。そこから学んだことが大きかった

リオデジャネイロ2016大会は、16人の日本代表メンバーに選ばれず、リザーブとして現地に帯同することとなった。18歳から日本代表候補に選ばれてきたが、最後の最後に夢には届かなかった。それでも、その頑張りを知る同僚は壮行会を開いてくれ、リオに到着した時には上司から動画の応援メッセージが届いたという。
「めちゃくちゃ悔しくて、『なんやねん!』と思って帯同していたんですけど、リザーブなのに応援をしてくれて。自分もしっかりフィールドで戦う選手を支えなくてはいけないと思いました」

リオ2016大会で日本代表は、1次リーグ5試合を戦い1分4敗。白星を挙げることが出来なかった。いつもと同じプレーを大舞台ですることがいかに難しいのかを痛感した。
「普通に通るはずのパスが通らなくて、選手もプレッシャーで極限状態。それでも結果でしか評価されないのがオリンピックだと分かりました」

一番近くで夢舞台を見た野村は、リオから同じ飛行機で帰国した金メダリストを前に刺激を受け「東京2020オリンピックで金メダルを取る」と、目標を新たにした。そのためには、プレッシャーでミスを恐れて何もしないよりも、ミスをしても取り返せばいい。それぐらい突き進む勢いでいかなくてはいけない。野村は得点力をあげるため、日本では数少ない選手しか打つことのできない、「ドラッグフリック」というシュートの技を習得すると決めた。ドラッグフリックはペナルティーコーナー時に、唯一ボールを浮かせて打つことが許されているシュート。ボールより前に足を移動させ、体の後方からボールを引きずり押し出すため、男子選手でも難しいとされる。それに野村は挑戦した。

オリンピックが遠かった分、思いは誰よりも強い

国際試合ではなかなか決まらなかった新しい技だが、3年前ついにゴールネットを揺らした。「私でも国際試合で決められる。自信がなかっただけ」と気づき、その自信が得点力となった。様々なポジションを経験してきた野村は、昨年から日本代表でFWを任されるようになった。
「人生やるかやらないか。やったことしか試合に出ない。前までは他の選手の顔色を伺っていたけれど、間違っていても、思ったらやろうと思えるようになった。その結果が自信につながりました」。

新型コロナウイルス感染症拡大の影響で東京2020大会は1年延期となった。あと数カ月で夢が叶うというところで、またも夢が遠のいた。
「いよいよというところで機会を奪われ、悔しさとむなしさで落ち込みました。30代の私たちは引退が近づいている年齢なので。でもあと1年頑張ろうと励まし合っています」

この延期をポジティブに捉え、課題の克服にあてる。FWになった野村は、ボールを受けてからの動きや得点力をさらに磨き、日本代表の16人として東京2020オリンピックのフィールドに立つため、国内リーグ戦でまずは結果を残すことを目指す。
「結果でしか皆さんに恩返しができません。それと、誰よりもオリンピックに出ることを応援してくれた母の墓前に、金メダルを持っていきたいです」

最後に意気込みを聞くと、照れ笑いをしながら、大粒の涙が頬をつたった。銀行員になると決めた時にも「ちゃんと仕事につけて良かったね」と喜んでくれた母。何度もつかみ損ねた夢を、誰よりも応援してくれた。そんな母が昨年亡くなった。どんな時にも常に笑顔で明るく、太陽のような人。夢を叶えた姿を見せることはできなかったが、何があっても前向きにひたむきな笑顔で突き進む姿は母から受け継いだものだろう。
支えてくれた人に恩返しをするため、そして母と目指した夢を叶えるため。ミスを恐れず、果敢に攻める日本代表FWは「結果」で恩返しをする。

新しい技を武器に、初のオリンピックの舞台に立つ
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