戸邉直人は「研究者」としても走高跳を極める 二足のわらじを履くアスリートたち

戸邉加工写真_本番用

東京2020大会に出場する、もしくは出場を目指すアスリートの中には、競技者とは別のキャリアを築く選手がいる。陸上競技の男子走高跳で2m35cmという日本記録を持つ戸邉直人もその1人だ。世界のトップレベルで戦いながら、2019年春に筑波大学大学院で博士号を取得し、アスリート社員としてJALに籍を置く現在も時間を見つけては、走高跳の研究を続けている。「陸上選手」と「研究者」という二足のわらじを履く戸邉の生き方に迫った。

初めて論文に触れ「こんな世界もあるんだと」

新型コロナウイルス感染症拡大による外出自粛期間中、練習場が使用できず、多くの選手が限定的なトレーニングを強いられた。戸邉も例外ではなく、自宅で筋力トレーニングをしたり、近場をランニングするくらいで専門的な練習はほとんどできなかったという。そんな中、戸邉はあることに時間を充てていた。

「昨年の春までは博士論文を書いていたので、いろいろな論文を読んで、常に自分の知識をアップデートしていました。でもそれが終わってからは、以前のベースで知識をインプットできていなかったので、自粛期間中は論文を読むことに時間を使っていました」

大学院に進学し、走高跳という競技をもっと突き詰めようと考えたのは大学3年生のとき。2年次だった2011年には日本選手権で初優勝を飾り、日本のトップジャンパーとして名を馳せながらも、よりレベルを上げていくにはどうしたらいいか思案していた。

「昔から、どうすれば高く跳べるかということを日々考えているタイプの人間でした。自分なりに指導書や、毎月発行されている陸上雑誌を読んで情報を集めていたのですが、それだけでは難しいなと。そう思っていたところ、大学3年生のときに卒業論文の作成に向けてゼミに入ることになり、そこで論文を読む機会があったんです。初めて論文というものに触れて、こういう世界があるんだと知りました。そして、『自分が今持っている疑問が明らかになるかもしれない』と思ったので、大学院に進むことを決断しました」

「どうすれば高く跳べるかということを日々考えている」という戸邉
「どうすれば高く跳べるかということを日々考えている」という戸邉
提供/日本陸上競技連盟

戸邉が専攻したコーチング学とは!?

大学院ではコーチング学を専攻し、修士課程で2年、博士課程で3年、研究に取り組んだ。コーチング学は、スポーツのトレーニングと指導に関する学問で、比較的新しい領域。これまでの研究で、スポーツをする人間の体にどのような変化が起こるかといった原理・原則は明らかになっているが、「どのようなトレーニングが効果的なのか」という具体的な練習法については研究する余地がまだまだあった。こうしたスポーツの練習やトレーニングで生じた疑問を実際に検証し、その効果を客観的に評価しながら競技現場にヒントを与えること、さらには「良いコーチングとは何か」といった指導者の教育法などを追究するのがコーチング学だ。そのコーチング学の中でも戸邉が行っていたのは、走高跳の原理・原則を明らかにし、パフォーマンスを高めるために競技現場でそれをどう使ったらいいかという疑問を検証する研究だった。

「僕の研究のメイン部分は、スポーツバイオメカニクス(力学的な側面からスポーツにおける身体運動を研究する、スポーツ科学の領域の1つ)が中心でした。体にマーカーを貼って、走高跳の動きを赤外線カメラで撮影し、モーションキャプチャシステムでデータを集め、それを基に解析を進めていく。空中の動きはまた新たな技術が必要になるのですが、助走から踏切までを、そのスポーツバイオメカニクスの手法を用いて、詳細に分析していきました」

博士論文のテーマは「走高跳のコーチング学的研究」。こうした研究の成果もあり、戸邉は2019年に日本コーチング学会から、研究奨励賞を授与された。

「エビデンスベースで」という師の教え

研究をする上で、戸邉の胸に深く刻まれている言葉がある。それは「エビデンスベースでやること」。この言葉は、筑波大学の陸上部元監督で、大学院では戸邉の指導教員だった図子浩二氏によるものだ。2016年6月に急逝した図子氏は長くコーチング学を研究し、戸邉の両立を後押ししてくれた。エビデンスベースとは、運動動作の分析をして、その結果を根拠にするということ。課題をどう克服し、どのようなトレーニングをするかということは、エビデンスに基づいてこそ効果がある。この教えは、現在も戸邉のベースとなっている。

「図子先生の指導もあって、トレーニングは必ず理由と根拠を持って行うように心掛けています。練習内容は100パーセント研究の影響を受けていて、技術的な部分も自分で研究をしているからこそ、見えている部分もある。他の選手よりも研究的な視点で自分の動きを評価できていると思いますし、競技中の動きは理論的に考えて、説明できるようにやっているつもりです」

戸邉は2019年2月に2m35cmの日本記録をマークして以降、踏切位置をこれまでより30cmほど手前にした。上に跳ぶだけではなく、ジャンプ全体の放物線の幅を広げないと、頂点を高くすることが難しいと考えたからだ。また踏切動作におけるトレーニングについても、工夫を施してきた。

「踏切のとき、足を付いている時間はせいぜい0.15秒ほど。その瞬間に出す力は1トンくらいで、つまり0.15秒の間に1000kgの重りをかついで立っているのと同じ力発揮をしなければいけないんです。できるだけ短い時間で大きな力を発揮する必要があるので、例えば高い所から飛び降りてすぐにジャンプする、速いスピードの中で繰り返しジャンプするといった時間制約が出てくる条件を作って、トレーニングをしています」

自身が研究したこと、すでに他の研究で明らかになっていることを含めて、戸邉の競技における取り組みはすべてエビデンスに基づいている。ただもちろん知識だけではなく、長年にわたる競技生活で培ってきた経験も脳には蓄積されており、それらが融合し、「戸邉直人」というアスリートを形作っているのだ。

戸邉の競技における取り組みは、すべて研究によるエビデンスに基づいている
戸邉の競技における取り組みは、すべて研究によるエビデンスに基づいている

研究の息抜きに競技をして、競技の息抜きに研究をする

競技と研究の両立は、決して楽ではなかっただろう。忙しいときは、朝8時には大学で研究活動をスタートし、午後に数時間の練習をした後に、再び夜9時くらいまで研究を続ける生活を送っていたという。それでも「ずっとパソコンに向かって嫌になったときは、練習で体を動かしてリフレッシュし、練習で溜まった疲労は座って研究していたら回復できるので、研究の息抜きに競技をして、競技の息抜きに研究をするという感覚でやっていました」と笑う。

競技も研究もすべて予定通りに進むわけではない。時間の管理は大変だったが、大学院に進学したことで、人間としての視野は広がった。

「実際に研究を進めていこうとすると、1つのプロジェクトになるので指導教員や、他の研究室の学生も含めて50~60人の協力を得て行う『仕事』になります。1つの仕事を計画通りに進めていくために、多くの方に協力を得て作業していく力がつきました。あとは研究の出発点として、哲学を勉強したりもするんです。哲学の歴史をたどりながら、物事の考え方や、自分の知識をどうやってアップデートしていくのかという方法論を学ぶことができたので、自分自身の考える力もついたように感じます」

競技と研究を両立したからこそ、世界のトップジャンパーにまで飛躍を遂げた今の戸邉がある。東京2020オリンピックでの目標は「日本記録を更新する2m40cmを跳んでの金メダル」だ。前回大会はケガの影響もあって出場を逃しただけに、来年に懸ける気持ちは強い。悲願の大舞台まで残り約1年、日本人ではまだ誰も到達していない高みを目指し、戸邉は走高跳を極めていく。

東京2020オリンピックでの目標は「2m40cmを跳んでの金メダル」
東京2020オリンピックでの目標は「2m40cmを跳んでの金メダル」

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