栄光と悔しさの100年超 オリンピックマラソン日本代表の戦いを振り返ろう

アテネ2004大会のフィニッシュ地点となったパナシナイコ競技場
アテネ2004大会のフィニッシュ地点となったパナシナイコ競技場

マラソンは、一説によると紀元前450年にあった「マラトンの戦い」に由来している。戦いに勝利したアテナイ(アテネ)の若い兵士が伝令でマラトンからアテネまでの約40 kmを走り抜いて息絶えたという逸話だ。この故事をしのび、1896年にアテネで開催された第1回オリンピックにおいて、男子のみ距離40kmで実施された。マラソンは「日本のお家芸」と言われ、オリンピックの大舞台で存在感を示してきた。東京2020大会に向けては男子の中村匠吾、服部勇馬、大迫傑、女子の前田穂南、鈴木亜由子、一山麻緒がすでに代表に内定し、活躍に期待がかかる。栄光や悔しさもあった日本代表のオリンピックでの戦いを振り返る。

男子の初出場はストックホルム1912大会

金栗、54年越しのゴール

日本人選手が初めてマラソンに出場したのは、ストックホルム1912大会だ。日本がオリンピックに初めて出場した同大会で、スタートラインに立ったのは、当時20歳の金栗四三だった。

多くの日本人の期待を背負ってレースに臨んだ金栗だったが、暑さにより途中で意識を失い、翌日までコース近くの家で看病された。結局ゴールにたどり着けないまま帰国した金栗は、現地で長年に渡り「消えた日本人」となっていたのである。しかし1967年、大会から55年の節目に、ストックホルム側が金栗を招待。イベントでようやくゴールテープを切り、そのタイムは54年と8カ月6日5時間32分20秒3と半世紀を超えるものだった。

東京1964大会で円谷が銅、「お家芸」へ

オリンピックの陸上競技で、戦後初めてメダルを獲得したのはマラソンだった。東京1964大会の男子マラソンで快挙を成し遂げたのは円谷幸吉だ。ゴールのある競技場まで2位をキープし、トラックでイギリスのベイジル・ヒートリーにかわされたが、3位でフィニッシュ。陸上競技では唯一となるメダルを獲得し、国立競技場に日の丸を掲揚することができた。

その東京1964大会で円谷とともに期待を受けながらも、8位に終わった君原健二は、メキシコシティー1968大会でリベンジを目指した。標高2000mを超える高地でのレースは過酷なものとなったが、君原は2時間23分31秒で銀メダルを獲得。円谷、君原と2大会連続でメダルを手にした日本は、マラソン界においてその地位を確固たるものにしていく。

宗兄弟、中山、瀬古らがけん引した80年代

1980年代に入り、ロサンゼルス1984大会には宗茂・猛の双子の兄弟がそろって出場した。本番では2人とも完走し、猛は4位入賞を果たす。またソウル1988大会で中山竹通が4位入賞した。この頃、国内外の大会で表彰台のトップに立ち続けた瀬古利彦は、ロサンゼルス1984大会とソウル1988大会に出場するも、オリンピックのメダルには届かなかった。それでもマラソン15戦10勝という戦績からは、世界をリードしたランナーの一人であることがうかがい知れる。

24年ぶりのメダルは森下

1970年代、80年代とトップ3に届かない大会が続いたが、日本に再びメダルをもたらしたのはバルセロナ1992大会に出場した森下広一だった。宗兄弟の指導を受けていた森下は、30km過ぎからゴール直前まで韓国の黄永祚と壮絶なデッドヒートの末、銀メダルを獲得。ラストの坂で競り負けたものの、日本人選手としてはメキシコシティー1968大会の君原以来24年ぶりとなる表彰台だった。この大会では中山が4位、レース中に転倒するというアクシデントを乗り越えた谷口浩美が8位と、出場した日本人選手3人全員が入賞という好成績をおさめた。

アテネ2004大会で金メダルに輝いた野口みずき

女子はロサンゼルス1984大会で初採用

初のメダルは有森、黄金時代の口火切る

女子はロサンゼルス1984大会から初採用となった。草創期には、「天才少女」と言われた増田明美や、市民ランナーからソウル1988大会代表まで駆け上がった宮原美佐子らが挑むも苦戦が続いた。しかしバルセロナ1992大会で躍進を遂げる。有森裕子がワレンティナ・エゴロワ(当時・独立国家共同体)と一騎打ちを繰り広げた。惜しくも8秒差の2時間32分49秒で銀メダルだったが、女子マラソン初の日本人メダリストが誕生した。

高橋、野口で日本人選手連覇

女子は、ここから「黄金時代」を迎える。アトランタ1996大会で有森が、日本女子陸上界初の2大会連続のメダルとなる銅を獲得すると、シドニー2000大会では高橋尚子が2時間23分14秒のオリンピック新記録で優勝。中間点過ぎから、ルーマニアのリディア・シモンとのマッチレースとなったが、35キロ付近でペースを上げると、1位でゴールテープを切り、「Qちゃんスマイル」がはじけた。日本のオリンピック陸上競技史上、女子では初となる金メダリスト誕生の瞬間でもあった。

栄光は続いた。アテネ2004大会でも野口みずきがケニアのキャサリン・ヌデレバの追い上げをかわし、日本人選手による女子マラソン2連覇を達成。有森から4大会連続でのメダル獲得だった。野口がゴールしたのは、アテネ1896大会のマラソンのフィニッシュ地点となったパナシナイコ競技場である。「大きなオリンピックシンボルが光り輝いているのを見て、もうゴールしたくないと思いました」。伝統のスタジアムでのラストは、アスリートの心をも揺さぶるものだった。

東京2020大会の男子マラソン代表に内定の大迫傑(25番)。リオデジャネイロ2016大会では男子5000mに出場した
東京2020大会の男子マラソン代表に内定の大迫傑(25番)。リオデジャネイロ2016大会では男子5000mに出場した

東京2020大会へ向けて

アフリカ勢が引っ張る現在

しかしながら近年、お家芸と言われたマラソンで、日本はメダルから遠のいている。女子はアテネ2004大会の野口、男子に至ってはバルセロナ1992大会の森下以来、メダリストが生まれていない。それにはマラソン界で存在感を見せるケニアやエチオピアといったアフリカ勢の台頭がある。リオデジャネイロ2016大会で金メダルを取ったのは、男女ともケニアの選手だった

強さの要因の一つとされるのが標高の高さだ。ケニアのナイロビで1600m、エチオピアのアディスアベバで2400mと、普段から高地トレーニングのような環境で生活していることで、心肺機能を高めているとされる。そのほか通学に歩いて2時間以上かかる生活環境や、骨格がマラソンに適しているといった身体的特徴も挙げられる。

選考の形も一新、日本勢に光も

日本人選手にとって苦境が続いている中、東京2020大会では代表選考の形も一新された。2019年9月に国内で、上位に入れば、代表に内定する1発勝負のレースを実施。男女とも出場3枠のうち2枠を決めた。男子の中村と服部、女子の前田と鈴木はその大会で、大舞台への出場権を手にしている。

男女3つの国内選考レースの結果を加味して決まる残り1枠をつかんだのは、大迫と一山。そこには光もあった。2018年10月に大迫は、同年2月に設楽悠太が16年ぶりに更新した日本記録を破ると、さらに今年3月の選考レースで再び2時間5分29秒の日本新記録を達成した。女子でも一山が今年3月の大会で、日本歴代4位となる2時間20分29秒で優勝。野口の持っていた日本人国内最高記録、2時間21分18秒を更新する好走だった。

果たして札幌を舞台に行われる東京2020大会のマラソンでは、どんなドラマが待っているのか。熱い42.195kmが待っている。