黒木茜が築く「社長」というキャリア 二足のわらじを履くアスリートたち

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東京2020大会に出場する、もしくは出場を目指すアスリートの中には、競技者とは別のキャリアを築く選手がいる。馬場馬術の日本代表として、リオデジャネイロ2016オリンピックに出場した黒木茜もその1人だ。競技を続ける一方で、介護施設の経営者を務めている。「馬術選手」と「社長」という二足のわらじを履く黒木の生き方に迫った。

20歳で乗馬クラブに入会、25歳で競技を始める

仕事をする日本と、練習拠点であるドイツを2週間ごとに往復する生活が、もう何年も続く。日本滞在中は馬に乗って練習することはなく、日々の仕事をしながら、ジムで体幹を鍛えたり、筋力トレーニングをするのが日課だ。馬に乗らない2週間で感覚が鈍ることはないそうだが、「筋肉痛にはなるんですよね。競技では全身の筋肉を同時に使いますし、さすがにジムでそうしたトレーニングはできないので」と笑う。

乗馬クラブに入会したのは20歳のとき、競技を始めたのは25歳とかなり遅い。37歳で初出場したリオデジャネイロ2016大会では、馬場馬術個人で50位、団体で11位に終わった。しかし、「ミスなく、自分にとって最大限のパフォーマンスを発揮できました。始まる前は人生で一番心臓に悪い日だと思っていましたが、終わったあとは人生で一番幸せな日でした」と振り返る。約12年かけてたどり着いた夢の舞台は、黒木にそれほど鮮烈な印象を与えた。

リオ2016大会に出場した黒木。「人生で一番幸せな日でした」と振り返る
リオ2016大会に出場した黒木。「人生で一番幸せな日でした」と振り返る
写真:日本馬術連盟

馬が自ら踊っているかのように見える!?

馬場馬術は、20m×60mの長方形のアリーナ内で、演技の正確さや美しさを競う競技だ。内容がすべて決められている規定演技と、必須の要素で構成し、音楽をつけて行う自由演技がある。「馬が自ら踊っているかのように見せることができ、観客も興奮してくれる。馬を自由自在にコントロールできるところが楽しい」と、黒木はその魅力を語る。

一見すると馬が自らステップを踏み、ダンスをしているかのようだ。しかし、実際は選手が観客に分からないように小さく合図を送っている。主に使うのは手綱と騎座(きざ/騎手の重心を移動し、馬の動きを助ける扶助)と脚(きゃく/騎手の膝から下の部分に対する呼称)。

「例えば脚の位置を少し変えるだけで、馬の動きがゆっくりになったり、前に進むようになる。前方へ馬を動かす推進を騎座でかけながら、手綱で止めると、馬は進めなくなるので、その場で足踏みをする。こうしたことを選手が細かくコントロールしながらやっています」

非常に難しい。しかもそれをアリーナ内の決められた場所で行う必要がある。だからこそ準備が重要で、馬と密にコミュニケーションを取ることが求められるのだ。

「馬も生き物なので、体調が悪かったり、気分が乗らなかったりすると、同じ合図でも普段は脚を5cm上げるのに、3cmしか上げないこともあります。日によって全然違うので、準備運動の段階から馬の調子を確認しながら、合図の仕方や乗り方を変えていかないといけないんです」

黒木は馬場馬術の奥深さをそう説明する。ただその分、自身の追い求める演技ができたときに得られる達成感は、競技への原動力にもなっている。

馬が自ら踊っているように見えるが、実際は選手が小さく合図を送っている
馬が自ら踊っているように見えるが、実際は選手が小さく合図を送っている
写真:日本馬術連盟

「社長」として掲げる理念

一方で、黒木は介護施設の「社長」という顔も持つ。もともと放射線技師として働いていたが、父が介護系のビジネスをしていたこともあり、ゆくゆくは会社を継ぐために、父のもとで経営を学ぶことになった。しかし、その過程で父と自分の考えに違いがあることに気づき、自らの理想を試す意味で起業を思い立つ。2012年、33歳での新たな挑戦だった。

経営者として、黒木が会社の理念に掲げているのは「自分たちの親を預けてもいいと思える介護をすること。そして入居者が生きることに誇りを持ってもらえる介護をすること」だ。入居者を家族と思えば、より親身になって接することができる。また何から何まで世話をしてあげることがよい介護とは限らない。手が動けば、時間がかかってもボタンのかけ外しは自分でやってもらうなど、今持っている機能を低下させない介護が必要になる。自分のことを自分でやることが、誇りを持った生き方につながり、それを黒木は大切にしている。

介護は、人の命を預かる仕事だ。人の生死と向き合う機会も当然多い。その中で生きることのありがたさや儚(はかな)さを感じ、自身の人生観を考えさせられる瞬間もあるという。

「1人で亡くなられていく方の中にも、最後に『自分は幸せだった』とおっしゃる方はたくさんいます。本人は孤独だと思っていなくても、周りがそう見てしまっていることもあって、それは偏見だなと感じます。1人であっても、自分が生きてきた軌跡に誇りを持っている人もいれば、いろいろな方から尊敬を集めている人もいる。そうした1人1人の人生を垣間見ることもできますし、そういうところにその人の生き様や人生観というのは表れてくる。この仕事をするようになって、私も最後に『ありがとう』と感謝できるように日々を過ごしていきたいと思うようになりましたね」

黒木の人生に不可欠な「競技」と「仕事」

競技と仕事を両立することは、もちろん大変だ。ましてや人の命を預かる介護施設となれば、24時間365日休むことなく誰かが働いている。黒木は経営者という立場上、現場に出ることはないが、最終的な判断を下す必要があるため、日本にいても海外にいても、たとえ練習中であろうが常に携帯電話を身につけている。なぜこうした生活を続けられるのか。

「やっぱり経営という今の仕事も、馬や競技も全部好きだからですかね。まずはそれが大前提としてあって、あとは従業員が私のサポートをすごくしてくれるのも大きいです。従業員がいなければ、私は海外で練習することもできない。競技についても温かく見守ってくれるので、その力がなければ今の私はないと思っています」

あえて両立を選んだわけではない。競技と仕事、その両方が黒木茜という人間の軸になっている。どちらも黒木の人生において不可欠のものなのだ。

「命ある動物とともに競技と向き合うことは決して簡単ではありません。馬は人より強く、人より弱い。それを理解して、お互いに強いところを高め合い、弱いところを補い合う。それが私の競技です。ただ、これは介護の仕事をしていても痛感します。人と人の助け合いは、人の強さと弱さを理解しないとできません。人間はもちろん、生きるものすべての心を理解することを、私は競技と仕事から学んできました。どちらかを選ぶというより、両方とも私にとって大事なものです」

黒木は来年開催される東京2020オリンピックに思いを馳せる。リオ以降の4年間は、愛馬との別れなど苦しいこともたくさんあった。それでも「競技に取り組む人間として、自国であの景色をもう一度見たい。そして馬術の素晴らしさを多くの日本人に見ていただき、馬術を普及させたい」という一心で乗り越えてきた。その願いを実現させるため、黒木は二足のわらじを履きながら、これからも歩みを進めていく。「人生で一番幸せな日」が再度訪れることを夢見て。

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