「チョー気持ちいい」「自分で自分をほめたい」オリンピックの記憶に残る言葉たち

アテネ2004大会、男子100m平泳ぎを制して雄叫びを上げる北島康介さん
アテネ2004大会、男子100m平泳ぎを制して雄叫びを上げる北島康介さん

「前畑がんばれ! 前畑がんばれ!」

1936年8月11日、ベルリン1936オリンピックの女子200m平泳ぎ決勝。前畑秀子さんが金メダルを獲得した瞬間は、ラジオを通じ河西三省アナウンサーの実況によって伝えられ、日本中に大きな感動をもたらした。またアテネ2004大会の体操男子団体総合決勝で、刈屋富士雄アナウンサーが、日本の28年ぶりの金メダル獲得を「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架け橋だ!」と実況したのも記憶に残るところだ。このような「名実況」によって、オリンピックの熱戦の模様は人々に届けられてきた。そんな実況とともに、アスリートがインタビューで語った言葉にも、人々の心は揺さぶられてきた。そこで過去大会を彩ったオリンピアンの言葉を振り返ろう。

今まで生きてきた中で、一番幸せです

岩崎恭子 バルセロナ1992大会

14歳になったばかりの中学2年生でオリンピックに出場した岩崎恭子さんは、競泳女子200m平泳ぎで、競泳史上最年少の金メダリストとなった。無名の存在ながら、決勝で当時の世界記録保持者アニタ・ノール選手(アメリカ)を残り5m付近でかわし、2分26秒65のオリンピック新記録で優勝した。

この種目での金メダル獲得は、ベルリン1936大会の前畑さん以来。快挙を成し遂げた少女は、あどけない表情を浮かべながらインタビューに「今まで生きてきた中で、一番幸せです」と語った。突如現れたヒロインに日本中の視線が集まり、岩崎さんの言葉はその年の流行語となった。

こけちゃいました

谷口浩美 バルセロナ1992大会

男子マラソンに出場した谷口浩美さんは、前年の1991年に東京で行われた世界陸上選手権を優勝していたこともあり、メダル候補だった。しかし、レースはスローペースで大集団となっていたため、22km付近で「事件」が起こる。給水所で後続の選手にかかとを踏まれた谷口さんは転倒し、シューズも脱げてしまった。

すぐにシューズをはき直すも、30秒近くロスしてした。先頭集団から離されたが、その後、ペースを上げて猛追し8位入賞。戦いを振り返り、「こけちゃいました。これも運ですね」と苦笑いを浮かべつつ、潔く敗戦を受け入れる姿は、人々の共感を生んだ。

自分で自分をほめたい

有森裕子 アトランタ1996大会

バルセロナ1992大会の女子マラソンで銀メダルを獲得した有森裕子さんは、続くアトランタで3位となり、2大会連続でメダルを手にした。バルセロナからの4年間は、けがの影響でマラソン出場は1回のみと苦しいものだった。それでもメダルという目標を立て、その思いを遂げた暁に発したのが「初めて自分で自分をほめたいと思います」だった。

これは、高校時代に有森さんが聞いたシンガーソングライターの言葉から来ている。自分を追い詰めながらトレーニングを重ね、必死に走った結果の銅メダル。それまでの過程が苦難だったからこそ、出た言葉だった。

シドニー2000大会の女子マラソンを制した高橋尚子さん

すごく楽しい42kmでした

高橋尚子 シドニー2000大会

女子マラソンを制した高橋尚子さんは、42.195kmという長い距離を走り終えた後にもかかわらず、笑顔で「すごく楽しい42kmでした」と振り返った。レースは34km付近でサングラスを取ってスパートをかけた高橋さんが、リディア・シモン選手(ルーマニア)らを振り切って1位でゴールした。陸上競技で日本女子初となる金メダル獲得だった。

日の丸を持ち、「Qちゃんスマイル」で、スタジアムをウイニングラン。その後、指導する小出義雄監督の元に向かい勝利を報告した。小出監督の指導は「褒めて伸ばす」がモットーで、いつも笑顔で選手に接していた。抱擁を交わし、勝利の美酒に酔う姿も、多くの人々を笑顔にするものだった。

アテネ2004大会、柔道女子48kg級を制した谷亮子さん
アテネ2004大会、柔道女子48kg級を制した谷亮子さん

最高でも金、最低でも金

谷亮子 シドニー2000大会

バルセロナ1992大会から5大会連続出場を果たした柔道女子48kg級の谷亮子さん。出場したすべての大会でメダル獲得という輝かしい実績を持つ。そんな谷さんの有名な言葉が、シドニー2000大会を前に語った目標「最高でも金、最低でも金」だ。

過去2大会はいずれも銀メダルに終わっただけに、「なんとしても金」という思いを持ちシドニーへと向かった。決勝ではわずか36秒で一本勝ちと、これまでの悔しさを晴らす圧勝に「夢のようです」と笑顔を見せた。2003年に結婚して田村から谷へと苗字が変わったことから、「田村でも金、谷でも金」を公言し、アテネ2004大会で2大会連続の金メダル獲得している。

斉藤先生のプレッシャーに比べたら、屁の突っ張りにもなりません

石井慧 北京2008大会

柔道男子100kg超級の石井慧さんは、当時、日本男子最重量級の最年少代表で、21歳ながら金メダルを手にした。安堵(あんど)の表情を浮かべながら答えたインタビューは、笑いを誘うものだった。

まずは初めてオリンピックの畳に立ったことへの印象を聞かれると、「滑らなかったです」。代表決定後にはけがなどから、プレッシャーもあったのではと問われると、「斉藤(仁)先生のプレッシャーに比べたら、屁の突っ張りにもなりません」。さらに今は何がしたいという質問には、「遊びたいです。いや、練習したいです」とすぐに言い直した。石井さん自身のキャラクターや、師事していた斉藤さんとの師弟関係を表す「石井節」に日本中が注目した。

チョー気持ちいい 何も言えねぇ

北島康介 アテネ2004大会、北京2008大会

競泳で数々の名言を残してきたのは、シドニー2000大会から4大会連続出場を果たした北島康介さんである。「チョー気持ちいい」は、アテネ2004大会の男子100m平泳ぎで自身初の金メダルを手にした後に生まれた。高校3年生で出場したシドニー2000大会は4位入賞。そこから4年、ブレンダン・ハンセン選手(アメリカ)との競り合いを制すと、インタビューで喜びを爆発させた。

4年後の北京2008大会では、58秒91の世界新記録で同種目を連覇した。日本選手団の主将を担い、試合前には「世界記録で金メダルを獲得する」と自らを追い込んだ。その結果、新鋭のアレクサンドル・ダーレオーエン選手(ノルウェー)らを破り、公約を果たした。レース後にこみ上げるものを抑えながら放った「何も言えねぇ」も、北島さんの代名詞のひとつだ。

ロンドン2012大会の男子4×100mメドレーリレーで銀メダルに輝いた日本
ロンドン2012大会の男子4×100mメドレーリレーで銀メダルに輝いた日本

康介さんを手ぶらで帰すわけにはいかない

松田丈志 ロンドン2012大会

北島さんは4度目のオリンピックとなるロンドン2012大会に出場したが、個人種目ではメダルに届かなかった。迎えた競技最終日、男子4×100mメドレーリレーで第2泳者を務め、日本男子史上初となる銀メダルを獲得した。インタビューで北島さんの次を泳いだ松田丈志さんが語ったのが、「康介さんを手ぶらで帰すわけにはいかない」。

2歳下の松田さんは、それまで大舞台で結果を残し続けた先輩が、メダルを手にできなかった事実に奮起した。北島さんを除く3人のリレーメンバー(松田さん、藤井拓郎さん、入江陵介選手)はひそかに結束。結果、北島さんに最高のラストを用意することができた。

果たして東京2020大会では、人々の記憶に残る名言が生まれるのか。熱戦とともにアスリートら言葉も楽しみだ。