テニス 錦織圭のAthlete Journey 強さの源流、今も体現し続けている教え

世界の第一線で長く戦い続けている錦織圭
世界の第一線で長く戦い続けている錦織圭
錦織圭のAthlete Journey
05:31

「もっと強くなりたいと日々思っている」

錦織圭は、幾度となく逆境に立たされてきた。ケガで長期欠場したこともあれば、重要な試合をあと一歩のところで落としたこともある。テニスは孤独な競技だ。普段は周囲のサポートがあっても、オンコートでは1対1の戦いになる。勝っても負けても、その全責任は自らにのしかかる。2007年10月、17歳9カ月でプロに転向してから、錦織は長くそうした孤独な戦いの場に身を置いてきた。

「いろいろなことを経験してきて、昔に比べれば強くなっている気はします。気持ちの面でも大人になっていると思うし、落ち着いてきていると感じます」。錦織は穏やかな口調でそう語る。

怖いもの知らずで、アグレッシブなテニスをしていた10代。攻撃と守備のバランスをうまくとれるようになった20代半ばには、世界のトップ戦線に浮上した。2014年の全米オープンで、シングルスでは男女通じて日本人初となる準優勝という快挙を成し遂げ、2016年と2018年にも同大会でベスト4に進出している。グランドスラムという世界中の注目が集まる大会で、海外の強豪選手とギリギリの戦いを経験することが、錦織をどれだけ強くしたか。そのひりつくような緊張感、結果を求められる重圧は常人には想像し難い。

「やっぱりテニスが好きで、もっと強くなりたいと日々思っているから、続けることができたんだと思います」

ひたすら高みを目指し、気づけば前を走る人は少なくなっていた。トップランナーとしての責任感、覚悟、寂寥感。それらは複雑に入り混じりながらも、成長を促す確かな糧となった。

様々な経験が錦織を強くしている
様々な経験が錦織を強くしている

1年にも及ぶ欠場が錦織の意識を変えた

錦織が現在の競技人生を形成するうえで、1つのターニングポイントとなった出来事がある。2009年の長期離脱だ。

「右ひじをケガして、1年間試合に出られないことがあったんです。初めての手術だったのですごく辛かったですし、またトップ100に戻れるのか不安もありました。いろいろ悩んだんですけど、そこから学んだことも多かったし、そのケガがあったからこそ体のケアを大切にするという、今の自分の考え方になっているんだと思います」

プロ転向翌年の2008年に、デルレイビーチ国際テニス選手権でツアー初優勝を飾り、世界ランキングを二桁に乗せていた矢先のこと。1年にも及ぶ欠場は、伸び盛りの選手にとっては大きなダメージだったに違いない。しかし、そこで自らの感情をコントロールする術を身につけることができた。

「休養している間は基本的に無心です」。錦織はそう語る。早く復帰したいという気持ちを抑えながら、自分の感情をコントロールする。あまり深く考えず、悩み過ぎない。試合においても、そのアプローチは通ずる部分がある。困難な局面に陥っても、なるべく冷静でいること。もちろん錦織も人間だから、感情を制御できないときもあるだろう。ただ、常にポジティブでいることは心掛けている。

「最後までいつチャンスが来るか分からない。相手が150パーセントの出来であっても、試合の中で流れが変わることもあるし、自分がコントロールできないこともあります。だからチャンスをしっかり待つ。難しい場面であっても、自分が良いプレーをできなくても、最後にチャンスが来ると思って、プレーしています」

錦織は「あきらめない」「努力」という言葉を好む。それは幼いころに参加した「修造チャレンジ」で、元テニスプレーヤーの松岡修造さんから教わったことであり、コーチのマイケル・チャン氏から今もかけられている言葉なのだという。人間が成長するために当たり前のことを、錦織はぶれずに今も体現し続けている。

10代のころのケガが錦織の意識を変えた
10代のころのケガが錦織の意識を変えた

「自分のために」から「日本のために」

過去3回出場しているオリンピックは、錦織にとっていつも特別な大会だ。経験するたびに己の弱さを知り、同時に自信を得る。テニス選手にとって、最も重要なのはグランドスラムのタイトル。しかし、それとは異なる位置づけで、意欲を掻き立てられる。

「オリンピックでは、他の日本人選手のプレーを間近で見ることできるし、それがすごくモチベーションになります。競技は違えど、一緒に戦っているなと感じられるので、自分のテニスにも響いてくるものがあり、強くさせてくれるんです」

「日本のために」という思いがリオデジャネイロ2016オリンピックでの銅メダル獲得につながった
「日本のために」という思いがリオデジャネイロ2016オリンピックでの銅メダル獲得につながった

かつてテニスは「自分のため」と言っていた男が、リオデジャネイロ2016オリンピックでは、「日本のために」と口にすることが多くなっていた。準々決勝のガエル・モンフィス戦。タイブレークで3-6と3本のマッチポイントを握られる絶体絶命の中、そこからの5連続ポイントで大逆転勝利を収めた。日本人選手として96年ぶりのメダルが懸かった3位決定戦のラファエル・ナダル戦。第1セットを取りながら、第2セットを逆転で失い、流れがナダルに傾きながらも、再び盛り返して死闘を制した。自分のためだけだったら、途中で挫けていたかもしれない。

「どうしても日本に良いニュースを届けたいという小さな思いが、自分の中で大きなモチベーションになって、特に苦しい場面で力を発揮することができました。逆境だったけど、落ち着いてプレーできたし、もちろん最後まであきらめなかった。本当に1人でも2人でも喜んでくれる人がいるならば、この試合に100パーセントを注げるなと思えたのがリオだったんです。皆さんの力を借りてエネルギーにできたし、こうした経験はすごく自分のためになりました」

3位決定戦でナダル(右)に勝利。逆境に立たされながら死闘を制した
3位決定戦でナダル(右)に勝利。逆境に立たされながら死闘を制した

テニスは「一番の趣味。プラモデルを作るのと同じ感覚」

2019年末、30歳になった。選手としてはベテランと見なされる年齢だが、むしろ日々うまくなっている感覚すらある。「良い意味で飽き性」の錦織は、練習にアレンジを加え、どうやって楽しむかを常に考えてプレーしている。年々、ショットのバリエーションが増えてきて、そのぶん苦手なショットが減った。テニスの楽しさを実感する瞬間だ。

新しい刺激を得るために、他の競技を観戦する機会も多くなった。最近は卓球を見に行き、張本智和のプレーに目を奪われたという。テニスと似た競技特性に加え、世界を舞台に戦う16歳に、昔の自分を重ね合わせた面もあるかもしれない。

「もっと近くで見たいと思えるほど、とにかく速い。コンマ何秒の間に、こういう打ち方をしよう、こうやって返そうと考えているわけじゃないですか。テニスも速くて、考える時間も少ないけど、卓球はそれよりも短い。ああやって瞬時の中で戦っていけるのはすごいなと感じました」

東京2020オリンピックでの目標は「1戦1戦頑張ること」。テニス人生で最も緊張したという北京、強敵を破り自信をつけたロンドン、そして銅メダルを獲得し、日本に歓喜をもたらしたリオと、錦織はかの地で自らの礎に忘れがたい記憶を刻んできた。今回も「楽しみたいですし、有意義な時間にしたい」と語る。

ふと気になった。今の錦織にとって、テニスとはどういう存在なのか。すると彼は少し考え、優しい笑みを浮かべながらこう言った。

「仕事なんですけど、自分にとっては一番の趣味みたいなものです。プラモデルを作るのと同じくらいの感じで自分はテニスをやっているので、それを極めたいと思っています」

厳しい環境で戦いながら、それでも衰えない情熱。テニスを「趣味」、「プラモデルを作るのと同じ」と言えるところに、強さの源流がある。

テニスは「一番の趣味。プラモデルを作るのと同じ」と語る
テニスは「一番の趣味。プラモデルを作るのと同じ」と語る

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