室伏広治さんの言葉から読み解く 困難な時代を生きるためのヒント

トップアスリートの言葉や歩んできた道のりには、より良い人生を送るためのヒントが散りばめられている。数多くの試練を乗り越え、目標とする場所へたどり着くために、自分の人生と向き合い、最良の選択をするように考え抜いてきた経験値があるからだ。

室伏広治さんは、アテネ2004オリンピックの陸上・男子ハンマー投げで日本人選手として初となる金メダルを獲得。37歳で出場したロンドン2012オリンピックでも銅メダルを手にした。現在は公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会(東京2020組織委員会)でスポーツディレクターを務める一方、東京医科歯科大学の教授として後進の育成に携わっている。日本陸上界のレジェンドである室伏さんの言葉にも、新型コロナウイルス感染症の世界的な拡大により、スポーツ界を含めて困難な時代を迎えている現代社会を生きるためのヒントが詰まっていた。

競技とは別のことに挑戦する

オリンピックや世界選手権での金メダル、日本選手権20連覇など室伏さんは輝かしい実績を残してきた。2003年に出した84m86という自己ベストは、今も破られていない日本記録だ。体格面で劣る日本人は不利とされるハンマー投げという投てき種目において、屈強な外国人選手と伍して戦えたのは、室伏さん自身の才能もさることながら、良き指導者のもと正しい練習を積み、その中で工夫をし続けた努力が実を結んだと言うことができるだろう。

室伏さんは41歳まで現役を続けた。ロンドン2012オリンピックで銅メダルを獲得したのは38歳になる直前。その前年には世界選手権で金メダルにも輝いた。ハンマー投げという競技は,ワイヤーと取っ手を介した7.26kgのハンマー (男子の重さ)を、身体を3回転ないし4回転させてヘッドスピードを高め,いかに遠くへ投げることができるかという競技である。80m投げるときのリリースの速度は29.0/sec以上にもなり、ワイヤーにかかる力は350kgにも達する。ハンマー投げは力だけでなく、スピードと瞬発力が求められる。年齢とともに体力も全般的に衰える傾向があるだけに、30代後半でこうした成績を残すのは至難の業だ。どのようにして、これを可能にしたのか。室伏さんはキャリアの転機になったある出来事を語る。

「(それぞれオリンピック翌年の)2005年と2009年を休養に充てました。その年は日本選手権にしか出なかったんです。試合に出なくていいのかという不安は確かにあったのですが、30歳になるころには長年の投げ続けた代償からか、身体に異変を感じ長期に渡り休養を必要としました。ただ休養と言っても何もしないわけではなく、競技とは別のことをするのが大事だと思ったんですね。そのときに挑戦したことから新しいトレーニング方法を生み出すことができましたし、次のステップにつなげられたという意味で重要な年でした」

室伏さんは、アテネ2004オリンピックで金メダルを獲得した翌年を休養に充てた
室伏さんは、アテネ2004オリンピックで金メダルを獲得した翌年を休養に充てた

上達するには何事にも順序がある

室伏さんは、ハンマー投げとは違う筋肉を使う自転車のロード、陸上の長距離走、水泳などに挑戦した。さらに投げるという動作を極めるために、投網を学んだり、撒菱(まきびし)や手裏剣を投げてみたりと、どん欲に新しい感覚を迎え入れていった。

「すべてが発見でしたね。どんなことにも必ず基本がある。例えば水泳では蹴伸びがしっかりできないときれいに泳げない。基本が何かというのをつかむと上達が早い。当たり前のことかもしれませんが、上達するには何事にも順序がある。最初に変な癖がついてしまうと、マイナスからゼロにするのはけっこう大変なんですね。正しいトレーニングをすることが大事だということをあらためて感じました」

固定観念を捨て去るために、視野を広げる

1つの分野を突き詰めるのはもちろん素晴らしいことだ。ただ、それについて考えるあまり、視野がいつの間にか狭くなることもある。室伏さんは「ハンマー投げ」という人生の軸を持ち、その軸をより強固なものとするために、別の視点を取り入れた。

「仕事でもそうですが、ずっとやっていく中でいつしか義務的になり、「こうしなければいけない」と自分の考えを狭めてしまう。そういう状態ではクリエイティブなアイデアは絶対に出てこないんです。「この方法でやらなければ強くならない」という固定観念が、新たな発想を全部打ち消してしまう。それが分かったのも長く競技を続けてきたからだと思いますが、物事がうまく進まないときや煮詰まったときなどは、普段やらないことをやったり、全然別のことに置き換えることが大事だと思います。僕の場合は、1年間休養しても、競技とは別のことに同じようにエネルギーを使って上達すれば、競技に戻ったとき必ず役に立つと思い、いろいろなことにチャレンジしました」

固定観念に縛られていては、クリエイティブなアイデアは生まれないと語る室伏さん
固定観念に縛られていては、クリエイティブなアイデアは生まれないと語る室伏さん

弱点を克服するために、自分を客観的に分析する

室伏さんは競技を続ける一方で、中京大学の大学院にも進学し、2007年には博士号を取得した。ハンマー投げを学術的にも研究したのだ。それによって競技や自身の力についても客観的に見ることができるようになったという。

「当時、現役のアスリートで大学院に進む人は少なかった。競技に集中できないし、トレーニングの時間も研究活動や授業に割かなければいけない。でも現役生活はいつ終わってしまうか分からないですし、目先のことだけを考えずに、あえて両立する道を僕は選びました。競技は生身の体でやるものなので、どうしても調子が悪いときもあるんですね。そういうときは研究を進めて、どうすれば良い研究ができるかを考えていました。それで調子が戻ってきたら競技に取り組む。客観的な目で見るということは、自分の嫌なところを見なければいけないこともあります。ただ、自分を変えていくためには、その弱点を克服しなければいけない。徹底的に自分を分析することが大事なので、そういう意味で研究は大きく役立ちました」

未来を見据えて、選択肢を増やす

室伏さんは「時間の使い方が大事」だとも説く。新型コロナウイルス感染症の拡大により、企業でもテレワークの活用が推進され、今後は働き方を含めたライフスタイルが大きく変化することが予想される。そこで生まれた時間をいかに有効的に使うか。

「僕がいつも若いアスリートに言っているのは、「競技だけやればいいと考えないで」ということです。10年後のことは誰にも分からない。今のように世の中の状況が一変することもあるし、自分の立場も変わるかもしれないですよね。10年後に1つの選択肢しかないより、3つの中から選べた方がいい。自分の本当の力を出すには時間がかかるもので、1、2年やったくらいでは難しい。20代になっても進むべき道が分からないこともある。そういうときに、選択肢は多い方がいい。自分でチャンスの芽を摘まないように、さまざまなことに挑戦してもらいたいです」

350kg以上の張力がかかる瞬間
350kg以上の張力がかかる瞬間

限られた時間と環境の中で工夫することが重要

大学院で博士号を取得した室伏さんは、大学教授という道を切り拓いた。現役時代から引退後のキャリアを考えチャレンジしたことで、いくつかの選択肢が生まれたのだ。また室伏さんは、「限られた時間と環境の中で工夫することが重要だ」と話す。

「時間に限りがあると、その中でどうにかして効率化を図り、最大限の効果を得る方法を考えるものです。時間がたくさんあればいいというわけでもない。それは環境も同じで、僕の場合は、トレーニング器具がないと、ホームセンターで部品を買い、トレーニング器具を自作しました。競技だけを行っているから成長するのではなく、そのプロセスで工夫することが面白く、何よりも成長していくことができるのではないか。限られた時間や環境に文句を言うのではなく、その中で何をするのが正しいのかを考える必要があるんです」

気持ちを込めて頑張れば、必ず道は拓ける

東京2020組織委員会のスポーツディレクターも務める室伏さんは現在、1年延期された東京2020オリンピック・パラリンピックの開催に向けて尽力している。大会が延期されるのは史上初。誰しも経験がないことだ。そうした状況に、室伏さんは自らの生き方の指針とする「一投一念」の気持ちで向き合いながら、大会への期待を語る。

「1つひとつのことに対しても、そこに気持ちを込めて、精いっぱい頑張ることがやはり一番大事だと思っています。そうすれば必ず道は拓ける。それは現役のときと変わらず、いまだにそういう気持ちでやることを目標にしています。1年延期されたオリンピック・パラリンピックというのは初めてですが、その大会を成功させることで多くの方に希望を与えられるはずです。僕もそれに少しでも貢献したいと思っています」

頂点を極めたアスリートの言葉には力が宿る。人それぞれ置かれた立場は違えど、確かな経験に裏打ちされた言葉には、琴線に触れるものがあるはずだ。

東京2020組織委員会のスポーツディレクターとして大会の開催に尽力する室伏さん
東京2020組織委員会のスポーツディレクターとして大会の開催に尽力する室伏さん

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