戻ってきた「サッカーのある日常」、オリンピックでの日本の激闘を振り返ろう

北京2008大会、アメリカ戦に臨むU-23日本代表
北京2008大会、アメリカ戦に臨むU-23日本代表

新型コロナウイルス感染症の影響により中断していた日本プロサッカーリーグの1部リーグが2020年7月4日(土)、約4カ月ぶりに再開する。先だって再開・開幕した2部と3部リーグに続き、日本に「サッカーのある日常」が戻ってきた。東京2020オリンピック出場を目指す選手たちにとっても、代表入りに向けたアピールの機会到来である。そんな日本の男子サッカーは、オリンピックの舞台でどんな戦いを繰り広げてきたのか。今一度振り返ろう。

2つの「奇跡」

オリンピックにおける男子サッカーはパリ1900大会から始まった。これは1930年にウルグアイで第1回大会が開かれたFIFAワールドカップより古い歴史を持つ。これまで日本はオリンピックに10度出場しているが、その歴史を語る上で欠かせないのが二度の「奇跡」だ。

一度目は初出場となったベルリン1936大会での「ベルリンの奇跡」。オリンピック初陣となったスウェーデン戦で、技術・体格でも劣る日本は序盤から圧倒された。前半だけで2失点し0-2で試合を折り返す。しかし後半は一転して日本がペースを握り2-2の同点に追いつくと、試合終盤の決勝ゴールで優勝候補の一角を、3-2で打ち負かした。大学生中心のチームがみせた堂々たる戦いぶりは、世界から称賛を浴びた。

それから60年後のアトランタ1996大会で、日本は二度目の奇跡を起こす。それまで28年にわたって予選敗退が続いていた日本にとって、久々のオリンピックの舞台。オリンピック自体もプロの出場解禁や、サッカーでは23歳以下を基本とする年齢制限といった変革があり、この大会からは24歳以上の選手が3人出場できるオーバーエイジ枠が設けられた。日本も1993年にプロリーグが始まり、西野朗監督率いるU-23代表は、前園真聖や川口能活ら全員がそのリーグに所属する選手で構成された。そんなチームがグループリーグ初戦で、ぶつかったのが「サッカー王国」ブラジルである。

オーバーエイジ枠にはベベット、アウダイールという1994年のFIFAワールドカップアメリカ大会の優勝メンバーに加え、のちにバロンドールを受賞するリバウドを招集。23歳以下の選手にもロナウド、ロベルト・カルロス、ジュニーニョ・パウリスタらビッグタレントを擁したブラジルは、優勝候補の大本命だった。

試合はキックオフからブラジル優勢で進む。序盤から猛攻を仕掛けてくる相手に対し、日本は耐え忍びながら、カウンターで応戦する。何度か決定的ピンチを迎えるが、GK川口の好守もあり、無失点で切り抜けた。そして 0-0で迎えた後半27分、相手のミスを見逃さなかった伊東輝悦が先制点を決める。リードした日本は、その後もブラジルの猛攻を必死でしのぎ、「王国」を下すことに成功。歴史に残る大番狂わせを演じたこの勝利は、「マイアミの奇跡」として語り継がれている。

唯一のメダル

日本の男子が唯一、メダルを獲得したのがメキシコシティ1968大会だ。ベスト8で終えた東京1964大会に続き、2大会連続出場を果たしたチームの中心は、「名コンビ」として知られたストライカー釜本邦茂とチャンスメーカーの杉山隆一である。釜本はナイジェリアとのグループリーグ初戦でハットトリックの活躍を見せると、準々決勝のフランス戦でも2得点を挙げ、ベスト4進出に貢献する。杉山も正確無比な左足のキックと、俊足を生かしたドリブルで多くのチャンスを作った。

銅メダルを懸けた3位決定戦は地元メキシコが相手だった。この試合でも釜本と杉山のホットラインが輝く。杉山の2アシストから釜本が2ゴールを決め、メキシコを2-0で破った。大会全6試合で7ゴールを挙げた釜本は、得点王に輝く。そして杉山は、釜本の4つのゴールを含む5アシストをマークした。アジアにおいても、サッカー競技初のメダル獲得となったこの大躍進は、東京1964大会からわずか4年で「82」におよぶ国際試合を経験し、チームに磨きをかけた賜物だった。

ロンドン2012大会、グループリーグ初戦のスペイン戦に臨む大津祐樹
ロンドン2012大会、グループリーグ初戦のスペイン戦に臨む大津祐樹

その後、日本が最もメダルに近づいたのはロンドン2012大会だった。この大会ではグループリーグ初戦で優勝候補のスペインと激突。直前にフル代表がヨーロッパ王者に輝いた強豪国に対し、日本は大津祐樹のゴールを守り切って金星を挙げる。これで勢いに乗った日本は大津に加え、清武弘嗣や永井謙佑ら攻撃陣と、オーバーエイジ枠で招集された吉田麻也や徳永悠平ら守備陣がうまくかみ合い、快進撃を披露。準々決勝ではエジプトを3-0で下して、メキシコシティ1968大会以来となるベスト4入りを果たした。メキシコとの準決勝、韓国との3位決定戦で敗れ、あと一歩のところでメダル獲得はならなかったものの、下馬評を覆す戦いぶりは、日本のみならず世界を驚かせた。

飛躍への道

23歳以下の若い世代が中心となるオリンピックは、日本サッカーの未来を占う上で、非常に重要な役割を果たしている。中田英寿(アトランタ1996大会とシドニー2000大会出場)、中村俊輔(シドニー2000大会出場)、本田圭佑、長友佑都、香川真司(いずれも北京2008大会出場)ら日本サッカー史に残る選手たちの多くは、この舞台で経験を積み、その後のキャリアに生かしていった。彼らはオリンピックで輝かしい結果を残せた訳わけではない。中田はPK戦にもつれ込んだシドニー2000大会の準々決勝でシュートをミスし、北京2008大会に出場した4選手は、3戦全敗に終わった。アテネ2004大会、リオデジャネイロ2016大会に出場した選手たちも、グループリーグ敗退で辛酸をなめている。

リオデジャネイロ2016大会、スウェーデン戦に出場する南野拓実(左)
リオデジャネイロ2016大会、スウェーデン戦に出場する南野拓実(左)

しかし、この大会で世界との差を痛感し、悔しい思いをした選手たちが、そこから成長を遂げ、海外に挑戦し、日本代表の主力となっているのもまた事実だ。2002年のFIFAワールドカップ日韓大会で初のベスト16入りした日本代表の中心は中田、稲本潤一、宮本恒靖らのシドニー世代。2010年のFIFAワールドカップ南アフリカ大会で同じくベスト16進出を果たしたチームの主軸を担ったのは、アテネ世代の松井大輔や大久保嘉人、北京世代の本田、長友らだった。また現在の日本代表で主力としてプレーする南野拓実や中島翔哉らもリオ2016に出場している。オリンピックでの苦い経験が、その後の日本代表での活躍につながった。

また、ロンドン2012大会でアジア予選を戦うも、代表落選を経験した大迫勇也、原口元気らは2018年のFIFAワールドカップロシア大会で3度目のベスト16進出を果たした入りしたチームの原動力となった。本大会に出場できなかった選手が、その屈辱をバネに飛躍を遂げるケースもあるのだ。日本サッカー界には「北京経由南アフリカ行き」などといった言葉があり、これはオリンピックで活躍し、FIFAワールドカップにつなげることを意味する。もちろんそこを経由しない選手もいるが、オリンピックは23歳以下の選手にとって大目標であり、未来につながる大会として位置付けられている。

東京2020大会は、日本にとって11度目のオリンピックとなる。FIFA国際サッカー連盟は、大会延期に伴って、原則23歳以下の選手で編成される出場資格について、年齢の上限を24歳以下とした。果たして資格を満たす選手たちは、これからの本番までどんなアピールをしてくれるのか。また新たなスターの誕生はあるのか。自国開催となる大舞台での代表入りを目指す、若武者たちに注目しよう。