先駆者――世界を変えたアスリート 室伏広治「目標が高くなれば、意識も高まる」

200601

いつの時代も未開の地を切り拓いてきた人物がいる。「先駆者」――彼らはそう呼ばれる。オリンピックの歴史を紐解くと、その先駆者たちが数々の栄冠を日本にもたらしてきた。シリーズ第6回は、アテネ2004オリンピックの陸上競技ハンマー投げでアジア人初の金メダルを獲得した室伏広治さんを取り上げる。

先駆者 ‐ 室伏 広治
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「メダルは直接表彰台で受け取りたかった」

父と二人三脚で勝ち取った世界一を、表彰台の一番高い所で喜ぶことはできなかった。

アテネ2004オリンピック決勝、優勝を争うライバルのアドリアン・アヌシュ選手(ハンガリー)の3投目が83.19mを記録した。自己記録84.86mを持つ室伏さんは諦めてはいなかった。しかしなかなか記録は伸びず、最後の6投目を迎えた。一息つくと、いつも通りの雄たけびとともに投じた、渾身の一投はぐんぐん伸びていき、その表情からは確かな手ごたえが感じられた。記録は82.91m。シーズン自己ベストながらもアヌシュ選手に28㎝及ばず、その場に膝をついてうなだれた。それでも室伏さんはすがすがしい顔で表彰台に立ち、銀メダルを首からかけると笑顔をみせた。

しかし7日後に事態は急変する――。頂点に立ったアヌシュ選手にドーピングの疑いがかかり金メダルはく奪、世界一の称号は室伏さんに授与されることとなった。大会最終日に行われた会見で「素直に嬉しい。それでも金メダルよりも、そこに向かって努力していくことが重要」だと話した。室伏さんの表情は、金メダルという結果よりも自身が日々重ねてきた努力が間違っていなかったという自信に満ちたものだった。

1974年静岡県生まれ。父親の室伏重信さんは「アジアの鉄人」と呼ばれたハンマー投げの選手で、オリンピックには4度選出された。その姿を幼い時から見てきた室伏さんも10歳からハンマー投げを始める。本格的に父親と同じレールを歩き始めたのは、高校1年生の夏ごろ。他の競技との兼任からハンマー投げに専念し父親の指導を仰ぐと、高校生用のハンマー(6.35kg)で高校新記録、一般用のハンマー(7.26kg)で高校最高記録を樹立し、インターハイ連覇を成し遂げた。

室伏さんの特徴的な「高速4回転投法」。倒れるように投げるこのフォームは、父重信さんが外国人のような大きな体格ではない日本人でも勝てるようにと研究し編み出したもので、技と動きを突き詰め、磨き上げることで、1984年には75.96mという日本記録を樹立した。室伏さんの目の前には、常に目標としている日本記録保持者がいる。すべて聞き入れ、自身も父と同じように勉強し、努力を重ねた。大学に進学すると日本学生新記録、日本ジュニア新記録、日本インカレ4連覇を達成。社会人になった1998年には群馬県で行われた大会で、76.65mの日本新記録を達成し、ついに目標にしていた父を抜いた。

「目標が高くなれば、意識も高まる」

室伏さんは36歳だった2011年に韓国の大邱で行われた世界選手権でも金メダルを獲得し、世界選手権における男子最年長王者となった。アジア人には不可能と言われていたハンマー投げでの金メダル。それは父が届かなかった高い目標だったが、室伏さんはまず目の前にいる日本記録保持者という山を目指し、その父とともに努力を重ね、世界一という山頂にたどり着いた。室伏さんの偉業は、たとえ1人では道半ばでも、2人合わせて7度のオリンピックに出場した親子が意識を高め合い、ハンマー投げに魅せられ可能性を信じ成し遂げた、努力の証だった。