プレーバック・リオ 水谷隼の悲願結実、銅メダル獲得は後進の道しるべに

リオデジャネイロ2016オリンピックにおいて、日本は金12、銀8、銅21と計41個のメダルを獲得した。選手たちは何を思い、この大舞台に臨んだのか。今も記憶に新しい、感動と興奮に包まれたシーンを振り返る。

プレーバック・リオ 水谷隼、シングルスで日本卓球界初の銅メダル獲得
51:44

卓球男子シングルス3位決定戦結果

水谷隼(日本)

4-1(11-4、11-9、6-11、14-12、11-8)

ウラジーミル・サムソノフ(ベラルーシ)

ストーリー

「よっしゃあー」

ウラジーミル・サムソノフのリターンがネットにかかった瞬間、水谷隼は雄叫びをあげ、両腕を突き上げながら、仰向けに倒れ込んだ。出場3大会目にしてようやくつかんだ銅メダル。シングルスとしては男女通じて日本卓球界史上初の快挙だ。

3位決定戦は終始、水谷のペースで進んだ。「出足が勝負だと思っていた」との言葉通り第1ゲーム、第2ゲームを連取。第3ゲームこそ失ったが、第4ゲームでは相手のエッジボールに見事な反応を見せて、自らのポイントにするなど「地味ながら最高のプレー」で、王手をかけた。

第5ゲームは、勝利が近づくとともに1点が遠く感じた。「相手には簡単に取られるのに、自分の1点は5球、6球と打ち込まないと取れない」。それでも10-8とマッチポイントを迎えると、「ここで取れなかったら一生後悔する」と思い切りラケットを振った。そしてその直後、歓喜が訪れた。

「今までの練習や試合など、ここまで来る道のりが走馬灯のように流れてきました」

コートに寝そべって上を見上げた瞬間、水谷の脳裏をよぎったのは自身の卓球人生だったという。世界選手権に初めて出場したのは15歳10カ月だった2005年4月。全日本選手権では2007年を皮切りに10年間で8度の優勝を果たした。日本男子卓球界のエースに君臨していた水谷だが、北京2008は3回戦、ロンドン2012はベスト16敗退と、過去2回のオリンピックでは世界の壁に跳ね返された。特に第3シードで臨んだロンドンではメダルも期待されていただけに、ショックは大きかった。

大会後は、試合はおろか卓球からも離れていた時期が数カ月あった。2013年の世界選手権は1回戦敗退。「ロンドン以降は、自分の卓球がめちゃくちゃになっていて、このまま自分の卓球人生も終わるのかなと、どん底まで落ちました」と水谷は振り返る。しかし、「本当にここで卓球をやめていいのか」と自問自答し続けた末に気づいたのは「もっと世界で活躍したい」という思いだった。

水谷は同年、ロシアリーグに参戦し、専属のプライベートコーチもつけた。勝利を重ねることで自信を取り戻し、翌年以降は世界ランキングで10位以内をキープし続けた。

「今の自分ならできる」。その確信とともに臨んだのがリオ2016オリンピックだった。過去2大会とは明らかに違った揺るがぬ心。準決勝で中国の馬龍に敗れても、その試合の反省を3位決定戦に生かせる余裕があった。「相手(サムソノフ)が緊張していると分かったし、冷静にできました。準決勝で馬龍が僕をさらに成長させてくれたと思います」とさえ言ってのけた。

中国の壁が高い卓球界で、ついにつかんだメダルは日本の歩みを加速させるものとなる。今後新たに芽吹く才能たちは、「日本人にもできる」という道筋を見ながら前に進めるからだ。

「遠い未来、中国を倒すこともできると思うし、中国を倒すために努力している」と水谷は語った。

日本の夢は続いていく。リオの地で証明したのは、その可能性だ。水谷の銅メダルは、日本卓球界の活況を予感させるとともに、後に続く選手たちの「道しるべ」にもなっていくことだろう。

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