先駆者――世界を変えたアスリート 谷亮子「最高でも金、最低でも金」

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いつの時代も未開の地を切り拓いてきた人物がいる。「先駆者」――彼らはそう呼ばれる。オリンピックの歴史を紐解くと、その先駆者たちが数々の栄冠を日本にもたらしてきた。シリーズ第5回は、バルセロナ1992オリンピックから5大会連続出場を果たし、すべての大会でメダルを獲得した柔道女子48㎏級の谷亮子さん(旧姓:田村)を取り上げる。

先駆者 ‐ 谷亮子
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「やっと巡り合えた、初恋の人ですね」

3度目のオリンピックとなったシドニー2000大会で念願の金メダルを手にし、谷さんは涙を流して喜びを爆発させた。16歳で大舞台に初出場してから8年。25歳にしてやっとつかんだ「金メダル」だった。

1975年、福岡県生まれ。兄の影響で柔道を始めると、146㎝の小柄ながら一回り以上も大きな選手を背負い投げてしまう強さと「ヤワラちゃん」の愛称で、多くのファンに愛された。世界選手権6連覇、5大会連続で出場したオリンピックでは5つのメダルを獲得し(金2銀2銅1)、柔道競技での最多メダリストとなっている。

谷さんが初めて臨んだバルセロナ1992大会は納得のいかないものだった。当時高校2年生だった16歳の少女は、決勝の舞台で16㎝も身長差のあるセシル・ノワク選手(フランス)を果敢に攻めたが、結果は銀メダル。「なぜ負けたのか、負けた試合を研究したいと思います」と悔しさをにじませた。

そこから4年間、世界選手権を連覇するなど頂点に立てない大会は1つもなかった。そして、金メダル最有力候補という評価を背負って、2度目のオリンピックとなるアトランタ1996大会に臨むと、世界中から期待がかかる中、再び決勝に進む。しかし、初対戦となったケー・スンヒ選手(北朝鮮)に作戦を練ることができず、またも金メダルには届かなかった。試合後、銀メダルを手に目を潤ませ、「やっぱり私も人間だったんですね」と自分をなぐさめた。

どうしてオリンピックだけ勝てないのか――。

バルセロナからアトランタまでの4年間は、負けた試合を何度も見返し研究を重ねるも、オリンピックの決勝だけ勝つことができなかった。そこで谷さんは考え方を変えた。「負けて学ぶことは少ない、勝ってさらに高い目標を掲げる」と、唯一負けたオリンピックでの2試合よりも、たくさんの勝ち試合を分析し「勝ちパターン」の把握に努めることに考え方を変えた。オリンピック独特の緊張感と戦うため、より自分が強くなることを求めた。

そして口にした「最高でも金、最低でも金」。

シドニー2000オリンピック決勝に臨んだ谷さんの表情は険しかった。相手はリュボフ・ブルレトワ選手(ロシア)。試合が始まると、「田村! 田村!」と声援が飛んだ。会場のボルテージが高まってきたその時、内股に足をかけ一本を決めた。試合開始から30秒過ぎ、誰もが認める勝ちだった。

谷さんは右手を高々と上げ、小さな身体で何度も飛び跳ね嬉しさを爆発させると、歯を食いしばり涙を浮かべた。「ここまで来るのにすごく長くて……。でも励ましがあったからここまで来られたと思うし、金メダルを獲れたので、夢のようです」。

その後、谷さんはアテネ2004でも金メダルに輝き、連覇を達成。北京2008では銅メダルを獲得し、5大会連続でオリンピックのメダルを手にした。

勝って当然という期待を常に背負う中で、いつも口にしたのは「たくさんの方の励ましのおかげです」という感謝の言葉。自分自身に期待をかけ、周囲の声やプレッシャーを味方に強くなることができる谷さんだからこそ成し遂げられた快挙だった。