先駆者――世界を変えたアスリート 高橋尚子 「前人未踏を成すには非常識であるべき」 

日本人女子マラソンで初めてトップでゴールテープを切った高橋尚子さん
日本人女子マラソンで初めてトップでゴールテープを切った高橋尚子さん

いつの時代も未開の地を切り拓いてきた人物がいる。「先駆者」――彼らはそう呼ばれる。オリンピックの歴史を紐解くと、その先駆者たちが数々の栄冠を日本にもたらしてきた。シリーズ第1回は、シドニー2000オリンピックの女子マラソンで金メダルを獲得した高橋尚子さんを取り上げる。

先駆者 ‐ 高橋尚子
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「すごく楽しい42kmでした」。高橋さんはレース後、疲れた様子も見せず、笑顔で金メダル獲得の喜びを語った。日本女子マラソンとしてだけではなく、日本の女子陸上選手としてもオリンピック史上初の快挙。それを成し遂げたのは、当時28歳の笑顔がトレードマークの女性だった。

シドニー2000オリンピックは、高橋さんにとってマラソン6戦目。アップダウンが多いシドニーのコースは、オリンピック史上最も厳しいと評されており、出場54選手中13人が2時間25分を切る記録を持つなど、ハイレベルな展開が予想されていた。

そんな中、指導を受ける小出義雄監督からの指示通り、集団の中でペースを保った高橋さんは、18km過ぎの上り坂で早くも仕掛ける。中盤に差しかかるとさらにピッチを上げ、レースは金メダル候補だったリディア・シモン選手(ルーマニア)との一騎打ちの様相を呈した。

ただ、高橋さんには余裕があった。標高3500mを超す高地でのトレーニングを取り入れ、日ごろから50㎞、60㎞と常に自分を追い込む過酷な練習に耐えてきたからだ。迎えた35km付近、それがまるで合図かのように、身につけていたサングラスを沿道で見守った父親に向かって投げ、最後のギアを上げた。そして、残り3km地点でラストスパートをかけると追いすがるシモン選手を振り切り、日本の女子選手として初めてトップでゴールテープを切った。タイムは当時のオリンピック新記録となる2時間23分14秒。座り込むこともなく両手を挙げ「やったー」と喜び、場内の歓声に応え手を振る余裕まで見せた。

1972年、岐阜県生まれ。中学時代から陸上競技を始めたものの、当初は中距離の選手で、全国的にはそれほど名のある選手ではなかった。芽が出たのは実業団に入り、小出監督に見いだされてからだ。標高3500mでの高地トレーニングは各方面から「非常識」とさえ言われたが、高橋さんと小出監督はそれにあえて挑戦した。

「前人未踏を成すには非常識であるべき」

オリンピックの金メダルという日本の女子陸上選手がそれまで成し遂げていない頂を目指すには、常識的なことをやっていてもたどり着けない。だからこそ人とは違うやり方で、己を鍛え続けた。笑顔でつかんだ金メダルは、努力の積み方次第でまだ見ぬ頂に到達できることを証明するものでもあった。

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