空手 植草歩のAthlete Journey 競技者としての原点と、人生を変えた嘘

東京2020オリンピックで金メダル獲得を狙う植草歩
東京2020オリンピックで金メダル獲得を狙う植草歩
植草歩のAthlete Journey

かつてない苦しみを味わった1年

「原点はここだと思います」

競技者としての原点はどこかという質問に対し、植草歩は穏やかな笑みを浮かべてそう答えた。話を聞いたのは植草の母校である日本体育大学柏高等学校。東京2020オリンピックで新種目となる空手の組手女子61kg超級の金メダル候補は、週の半分ほど、母校の道場で後輩たちを指導しながら練習に励んでいる。

「高校生たちと触れ合うことで、自分も初心に帰れるんですよね。私は勝たなければいけない環境にいるのですが、彼らは「ただ強くなりたい」「空手が好きだ」という中で練習している。行き詰まったときにここで練習すると「私にもこんなときがあったな」「空手を楽しむ気持ちを忘れてはいけないな」と思うし、「また頑張ろう」という気持ちにさせてもらえます」

高校生たちとの触れ合いを通じて、初心に立ち返る
高校生たちとの触れ合いを通じて、初心に立ち返る

現在27歳の植草にとって、2019年はかつてない苦しみを味わった1年だった。得意の中段突きが相手に研究され、思うようにポイントが取れない。対策されていると分かっていながらも、それにこだわり、他の技に挑戦することができなかった。練習も積んでいたうえ、王者としてのプライドもあったことで、「結果が出ない原因を根性論に求めてしまっていた」。空手1プレミアリーグのパリ大会や東京大会では優勝したものの、5連覇を狙った全日本空手道選手権大会では決勝でまさかの敗戦。早期敗退する大会も多く、社会人になってからの5年間で最も振るわない成績に終わった。

「自分が描いたプランとは全く違う1年になりました。この5年間ずっと上り調子で来ていて、それが去年ガクンと落ちた。慢心していた部分もあったし、自分の弱さを知ることもできた。いろいろと反省しましたね」

空手がさらに楽しくなった高校時代

練習前には高校生たちと談笑。指導することで新たな発見もある
練習前には高校生たちと談笑。指導することで新たな発見もある

苦悩する植草が再び前向きな気持ちになれたのは、自身が競技者としてのいろはを学んだ地で、高校生たちと触れ合ったことが大きい。彼らは空手を楽しみ、ただ純粋に強くなるために自らを鍛錬する。練習前には植草も談笑に加わり、いざ練習が始まると彼らを指導しながら、自身の技を磨く。教えることで新たな発見があり、彼らと笑い合うことで学生時代の気持ちに戻ることもできた。そうした時間が、植草の張り詰めていた糸をゆっくりと解きほぐしていったのだ。

2016年に世界の頂点に立ち、オリンピックでの金メダルも視野にとらえる植草だが、幼少期より飛び抜けた実力を持っていたわけではない。飛躍のきっかけをつかんだのはまさに高校時代。

飛躍のきっかけをつかんだ場所で練習しながら、東京2020オリンピックで頂点を目指す
飛躍のきっかけをつかんだ場所で練習しながら、東京2020オリンピックで頂点を目指す

「正直、うちの高校は千葉県でも一番ではなかった。言葉では日本一になりたいとか、千葉県で優勝したいと言っていたのですが、なれるわけないと心の片隅では思っていたんです。でも言わなければいけない自分もいて……。ただ、この高校で、競技としての空手の駆け引きの魅力を教えてもらって、空手がさらに楽しくなった。後輩が入ってきて、自分が彼らの手本にならないといけないということも学びました。チームのみんなで千葉県優勝、日本一を目指して頑張ったら、本当にインターハイに出ることができた。そして大学から推薦入学の話をもらい、徐々にステップアップすることができたんです」

競技人生で最もうれしかった試合について、植草は「高校時代のインターハイ千葉県予選決勝」と答える。世界選手権や全日本選手権で優勝した試合よりも、その試合を挙げるところからも、植草がいかに高校時代の経験を大事にしているかが分かる。

自身が発する言葉を大切にする理由

植草は、自らが発する言葉を大切にする選手でもある。1つの発言が自身の人生を大きく変えたからだ。

空手が東京2020オリンピックの新種目に追加されるという話が浮上したとき、記者会見に出席することになった植草は、「空手をオリンピックの種目にいれる道筋を作りたい」と話すつもりだった。当時大学生だった植草は、2020年まで競技を続ける気持ちは全くなかったという。

「でも、そのときに(全日本空手道)連盟の方から、「植草さんはあの夢の舞台で優勝したいと言ってね」と言われ、私も自分の言葉の重要性を全く分かっていなかったので、「はい、分かりました」という感じで、「私はあの夢の舞台で優勝します」と言ったんですね。そしたら翌日それが新聞の一面になってしまい、空手をやらなければいけない雰囲気になってしまったんです(笑)」

1つの嘘が植草の競技人生を変えた
1つの嘘が植草の競技人生を変えた

もちろん後から「実は嘘だった」と言えるわけもなく、植草は「優勝するために頑張ります」と言い続けることになった。だが、最初は表面的な言葉であっても、ずっと口にしていたら、意識も変わってくる。意識が変われば、行動も変わるのは当然で、それに伴い結果がついてくるようになった。そして2015年に全日本選手権で初優勝を飾り、翌16年には世界選手権も制覇した。

「空手をずっと続けるなんて無理だと思っていた私が、なんで今、空手で生きているんだろうと思います。でも、大きな注目が力になったし、ただ注目されるキャラクターで終わりたくなかったからこそ、強い思いと行動と言葉で変わることができたんだなと感じます」

選手としての理想像に近づくため「人間力を磨く」

2020年のテーマは挑戦。これまで苦手としていた技も新たに練習している
2020年のテーマは挑戦。これまで苦手としていた技も新たに練習している

ほんの数年前までオリンピックどころか、空手を続けることすら考えていなかった1人の女性が、全世界の注目を浴びる舞台で金メダルを目指して戦う。高校、大学、社会人と着実にステップアップを遂げ、上り調子だった2018年までとは打って変わって、昨年はやや停滞した。しかし、自分を見つめ直し、さらなる飛躍を遂げるには、そうした1年も必要だったのかもしれない。勝っているときには気づかない何かを知るきっかけになるからだ。

昨年末には、コーチの変更を決断した。オリンピック前としては異例だが、「現状維持は嫌だなと思って、変化に懸けてみようと考えた」と、植草はその意図を明かす。2020年のテーマは「挑戦」だと言い、これまで苦手としていた新たな技を練習している。

植草には選手としての理想像がある。それは「言葉遣いがきれいで、多くの方に笑顔を与えることができ、応援される人」。そういう選手が真のチャンピオンだと植草は考える。具体的に思い浮かべるのはレスリングで3度のオリンピック王者に輝いた吉田沙保里さんだ。「そういう存在になれるよう、人間力を磨いている」と微笑む。

1つの嘘から始まったオリンピックへの挑戦。「あの夢の舞台で優勝します」という言葉を実(まこと)にするため、植草は歩み続ける。

「あの夢の舞台で優勝します」という言葉を現実にすべく、植草は歩み続ける
「あの夢の舞台で優勝します」という言葉を現実にすべく、植草は歩み続ける