陸上 桐生祥秀のAthlete Journey 僕が僕であるために速くなければいけない

日本人初の9秒台を出した桐生祥秀
日本人初の9秒台を出した桐生祥秀
桐生祥秀のAthlete Journey

オリンピックがあったからこその9秒台だった

「桐生祥秀であるためには、速くないといけない」

拠点としている母校の東洋大学で仲間と楽しげに練習をしていた桐生は、表情を引き締めそう語った。

2013年に、高校3年生ながら陸上男子100mで当時日本歴代2位となる「10秒01」を出し注目を集めると、3年後にはリオデジャネイロ2016オリンピックに初めて出場した。

100mは予選落ちという悔しさの中、男子4×100mリレーでは3走を任されると、桐生本来の走りをみせる。

並走する他国のランナーを抜きアンカーにバトンを渡すと、日本チームは当時のアジア記録を更新する37.60をマーク。銀メダル獲得に貢献した。

そして、2017年9月には日本人初の9秒台(9秒98)を出し、陸上界にその名を刻んだ。

「様々な試合を通していく中で、弱い部分や通用する部分が違ったので、色々と学んだ部分がありました。

心の緊張などもありましたが、それを今は糧にして集中できるようになったのも、オリンピックがあったからこそだったと思います」

感情に素直に、陸上を自由に楽しむスタイル
感情に素直に、陸上を自由に楽しむスタイル

陸上界に名前を残したい

100mで日本選手初の9秒台を出し「日本最速の男」となった桐生。

それは陸上界のみならず、日本中が待ちわびた数字だった。

高校3年生で「10秒01」を出すと、その名は瞬く間に陸上ファンの間にも広がっていった。

すると、歴史的瞬間を見ようと、桐生が出場する試合にはたくさんのファンが駆け付け、2万人を超える日もあった。

「毎回毎回9秒台じゃないと、観客席から「惜しい」「あぁ」という声が聞こえました。

取材陣からもプレッシャーを感じるか聞かれ、逆に意識してしまった部分もあります。

でも、イライラしたらイライラする、うれしい時にはうれしいというように、感情を出すようにしていたので、その場その場で感情が出てしまっていました」

応援してもらっているからこそ、その声にこたえたい
応援してもらっているからこそ、その声にこたえたい

年下の選手が日本人初の9秒台を目指し台頭する中、怪我にも見舞われ、思うようにタイムが伸びず、レース後に涙を流したこともあった。

それでも、「日本人選手初の9秒台」にこだわり、自分自身のタイムと向き合い続けた。

そして、「10秒01」という記録を出してから実に4年、タイムに貪欲であり続けたことで、「9秒98」という数字が結果となってあらわれた。

「日本人選手で最初に9秒台を出すというのが自分の陸上人生の目標でもあったから、あの時は素直にうれしかったです。名前が残ることをしたいと思っていたので、ここからは少しの間、名前が残るなと思いました。

でも、もう日本記録も持っていないので、また更新するために挑戦していきたいという思いが強いです」

「9秒98」。その数字とともに陸上界に名を残した桐生だったが、この記録は2019年6月にサニブラウン・アブデルハキーム(9秒97)によって塗り替えられた。

桐生は再び、「日本最速の男」を目指し、数字にとらわれていくこととなった。

リオデジャネイロ2016大会でウサイン・ボルトと談笑する、桐生と日本代表
リオデジャネイロ2016大会でウサイン・ボルトと談笑する、桐生と日本代表

「世界最速の男」-ウサイン・ボルトのように

東京2020大会の開催が決まった2013年9月。

五輪マークの描かれた封筒が開けられ「TOKYO 2020」と発表されたあの瞬間、桐生は夢の中にいた。

「夜中にやっていたじゃないですか。オリンピックを意識していなかったので寝ていました。

朝起きてニュースを見て、出たいなというよりも、「へー」って感じでした」と笑顔で振り返る。

当時、高校生ながら日本歴代2位の記録を出し注目されていた桐生だったが、オリンピックという舞台は考えてもいなかったと言う。

「陸上をやっていたら、普通はカール・ルイスらを見ていたと思うんですけど、オリンピックは全然見ていなくて。いきなりウサイン・ボルト選手から入ったんですよね。あのように速くなりたいなと……」

陸上競技は見ていてわかりやすい。

100mは直線でどこからでもランナーが見え、タイムで着順は一目瞭然だ。

また日本には運動会があるため、大半の人が50mや100mを走ったことがある。

自分が14秒、13秒で走る距離を、陸上選手は9秒で走るのかと、比べられる楽しさもある。

桐生にとって、その比べる対象がウサイン・ボルトだった。

100m、200mで世界記録を持つボルトは、現役を引退した今も、日本最速を目指す桐生にとって憧れの選手であることに変わりはない。

リオデジャネイロ2016オリンピックは銀メダル、その上はひとつしかない
リオデジャネイロ2016オリンピックは銀メダル、その上はひとつしかない

日本中の声援を背に、初の頂点を目指す

東京2020大会の陸上トラックは、新たに建設されたオリンピックスタジアムで行われる。

そのオリンピックスタジアムのオープニングイベントで初めてタータンに立った桐生は、日本代表のユニフォームで再びそこに立ちたい思いが強くなったという。

「僕自身も、まだメンバー入りはしていないけれど、入ったつもりで生活していかないと弱気になってしまう。メンバーに入ったつもりで考えることと、もっともっと速くならなきゃいけないです」

もっともっと速くならなくてはいけない――。

個人種目と4×100mリレーでのメンバー入りを目指す桐生にそう思わせたのは、2019年にドーハで行われた陸上競技選手権大会だった。

多田修平、白石黄良々、サニブラウンと臨んだ4×100mリレーでは、決勝でアジア新記録を出し、銅メダルを獲得した。

それでも桐生は、その結果に満足することはなかった。

「タイムが速くなったという結果は出たけれど、個々の能力を上げていかないと、金メダルを目指すのにはちょっと遠いことを実感しました。

アメリカやイギリスに勝つためには、さらにバトンをきれいにつないで、個々の能力を上げていかなければいけない。今の日本では、まだまだ無理だと正直思っています」

4×100mリレーについて聞くと、桐生は初めて「金メダル」という言葉を口にした。

日本選手男子が、トラック競技でオリンピックの表彰台に上がったのは、北京2008オリンピックと、桐生が出場したリオデジャネイロ2016オリンピックの過去2回。

いずれも4×100mリレーで銀メダル、日本選手が世界大会で表彰台の一番上に立ったことはない。

それでも、世界の舞台で戦い続けてきた桐生だからこそ、メダルまでの距離を理解している。

「やっぱり結果。僕自身も日本選手権でしっかりと代表メンバーに内定して、東京2020オリンピックを見てもらいたいです。今回のラグビーブームも日本代表が勝ったからみんなが見た。

陸上も同じで、個人でもリレーでも僕らがやることは、メダルを取って「ああなりたいな」と憧れの選手になること。結果を残すしかないです」

焦らず自分のペースで東京2020大会を迎えたいと笑顔で話した
焦らず自分のペースで東京2020大会を迎えたいと笑顔で話した

「日本選手初の9秒台」を出し、日本最速の男としてその名を残した桐生祥秀。

しかし、大舞台で結果を残し続けてきた道のりは、数字と戦い、日本中の期待を背負い、決して平坦なものではなかった。それでも、楽しいことをやっているだけと、0.01秒のタイムを縮めるために日々自身と向き合い続けている。

「オリンピックで金メダルを取ったら、9秒台の時よりもインパクトを残せると思う」

日本中からまだまだ速くなれると期待され、自分自身にも期待をかける。

雌伏の時を経て、さらに強くなった男が、この夏トラック競技における「日本男子初の金メダリスト」として世界に名を残す。